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妖怪玄谈--井上円了

妖怪玄談

五上円了

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《》:ルビ

(例)堆積《たいせき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号

(例)過日|発兌《はつだ》の

[#]:入力者注主に外字の説明や、傍点の位置の指定

(例)[#5字下げ]序[#「序」は大見出し]

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[#5字下げ]序[#「序」は大見出し]

余、幼にして妖怪を聞くことを好み、長じてその理を究めんと欲し、事実を収集すること、ここにすでに亓年。その今日まで、地方の書信の机上に堆積《たいせき》せるもの幾百通なるを知らずといえども、そのうち昨今、都鄙《とひ》の別なく、上下ともに喋々《ち

ょうちょう》するものは狐狗狸《こっくり》の一怪事なり。中等以下のものは、そのなんたるを知らざるをもって、ただ一にこれを狐狸《こり》、鬼神の所為に帰し、中等以上のものは、そのしからざるを信ずるも、これを解するゆえんを知らざるをもって、またこれを妖怪、不思議の一種に属す。これをもって、愚民のこれを妄信する、日一日よりはなはだしく、これより生ずるところの弊害、また決して尐々にあらざるなり。ゆえに余は、学術上、その道理を明らかにして世人の惑いを開くは、方今文明の進歩上必要なることと信じ、ここに狐狗狸の原因事情を論明して、『妖怪玄談』第一集となす。その目次、左のごとし。

[#ここから2字下げ]

第一段総論

第二段コックリの仕方

第三段コックリの伝来

第四段コックリの原因

[#ここで字下げ終わり]

明治二十年亓月上旬[#地から2字上げ]著者誌

[#改ページ]

[#5字下げ]第一段総論[#「第一段総論」は大見出し]

[#7字下げ]第一節[#「第一節」は中見出し]

洋の東西を論ぜず、世の古今を問わず、宇宙物心の諸象中、普通の道理をもって解釈すべからざるものあり。これを妖怪といい、あるいは不思議と称す。その妖怪、不思議と称するものにまたあまたの種類ありて、現今俗間に存するもの幾種あるを知らずといえども、しばらくこれを大別して二大種となす。すなわち、その第一種は内界より生ずるもの、第二種は外界に現ずるものこれなり。しかしてまた、内界より生ずるものに二種ありて、他人の媒介を経てことさらに行うものと、自己の身心の上に自然に発するものの別あり。ゆえに余は、妖怪の種類を分かちて、左の三種となさんとす。

[#ここから2字下げ]

第一種、すなわち外界に現ずるもの

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幽霊、狐狸《こり》、天狗《てんぐ》、犬神、祟《たたり》、その他諸怪異

[#ここから2字下げ]

第二種、すなわち他人の媒介によりて行うもの

[#ここから4字下げ]

巫覡《ふげき》、神降ろし、人相見、墨色《すみいろ》、卜筮《ぼくぜい》、予言、祈祷《きとう》、察心、催眠、その他諸幻術

[#ここから2字下げ]

第三種、すなわち自己の身心の上に発するもの

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夢、夜行、神知、偶合《ぐうごう》、俗説、再生、癲狂《てんきょう》、その他諸精神病

[#ここで字下げ終わり]

右の表を、あるいは左の図をもって示すべし。

[#ここから2字下げ]

┌外界(幽霊、狐狸等)

妖怪┤┌他人(巫覡、神降ろし等)

└内界┤

└自身(夢、夜行等)

[#ここで字下げ終わり]

今、この外界とはわが目前の物質世界をいい、内界とはわが体内の心性世界をいう。すなわち、夢、夜行等は心性の変動より生ずるはもちろん、巫覡、神降ろし等も心性作用の上に直接の関係を有するをもって、ここにこれを内界に属するなり。

[#7字下げ]第二節[#「第二節」は中見出し]

この数種の妖怪の原因を解釈するの法、古今大いに異なるところあり。けだし、その異なるところあるは、人の賢愚、時代によりて同じからざるによる。古代の愚民は、万物おのおのその霊ありて奇異の作用を現ずるなりと信じ、あるいは一身重我といいて、一身に二様の我《が》ありて、その一は一方に住止するも、他の一は他方

に出入して奇異の作用を現ずるなりと信じて、さらにその原因を問わざるなり。人知ようやく進みて、はじめて万物のほかに一種霊妙の体の別に存するありて、その媒介または感通によりて奇怪の生ずるに至るというも、いまだ物理の規則に照らしてその原因を証明するに至らず。

しかるに今日にありては、物理、化学等の規則に照らしてその証明を与えざるを得ざるゆえんを知り、はじめて普通の道理に基づきて解釈を下すに至る。これを要するに、古今、妖怪を解釈するにおおよそ三時期あり。すなわち、

[#ここから2字下げ]

第一は、万物各体の内に存する他体にその原因を帰すること

第二は、万物各体の外に存する天神にその原因を帰すること

第三は、天地自然の規則にその原因を帰すること

[#ここで字下げ終わり]

これなり。この第三時期の解釈法によりて定むるところの原因にまた三種あり。

[#ここから2字下げ]

第一種は、外界一方より起こる原因

第二種は、内界一方より起こる原因

第三種は、内外両界相合して起こる原因

[#ここで字下げ終わり]

まず第一種の例を挙ぐるに、狐火《きつねび》、鬼火《おにび》、

蜃気楼《しんきろう》、その他越後の七不思議とか称するの類にして、物理的または化学的の変化作用より生ずるものをいう。第二種の例を挙ぐるに、夢、癲狂《てんきょう》、幽霊、催眠のごとき、人の精神作用より生ずるものをいう。つぎに第三種の例を挙ぐるに、卜筮《ぼくぜい》、予言、神知、偶合《ぐうごう》等の類にして、外界の事情と内界の精神作用の相合して生ずるものをいう。しかれどもこれ、ただ大体についてその別を立つるもののみ。もし、その細点を挙げてこれを考うるときは、世人の妖怪と称するもの、大抵みなこの第三種の、内外両界相合して生ずるものに属さざるべからず。すなわち、外界一方より起こる狐火、鬼火のごときも、人の精神作用のこれに加わるありて一層その奇怪を増し、内界一方より起こる夢のごときも、脳髄を組成せる物質の事情によるはもちろん、その他種々の外界の誘因ありて生ずるや疑いをいれず。これ、いわゆる外界の事情によるものなり。

[#7字下げ]第三節[#「第三節」は中見出し]

右のごとく、妖怪はたいてい内外両界相合して生ずるものなれども、なかんずく卜筮《ぼくぜい》、予言のごときは、外界の事情と内界の作用の相関するものとす。例えば、ある人の将来の運を卜《ぼく》するに当たり、その人の平素の性質、品行、学芸、名望、その一家の関係、その社会のありさま等の諸事情を考察すれば、おのずからその将来受くるところの吉凶禍福を卜定《ぼくてい》すべきを

もって、卜筮者または予言者は、この事情を酌量して将来の運を告ぐるに至る。これ、いわゆる外界の事情によるものなり。しかしてまたその人、卜筮者または予言者の告ぐるところのものを信ずること深ければ、信仰心の力をもって、ますますその卜定の誤らざるを見るに至るべし。これ、いわゆる内界の作用によるものなり。近ごろ、俗間に行わるるところの一種の幻術あり。その名をコックリと称し、これに配するに狐狗狸の字をもってす。あるいは告理の語を用うることありという。これ、いわゆる人の手をかりて行うものにして、もしその種類を論ずれば、第一節中に掲げたる第二種の部類に入るはもちろんなりといえども、その起こる原因を考うるときは、外界の事情と内界の作用と相合して生ずるものなり。ゆえにこれを、第二節中に掲げたる第三種の部類に入るるべし。

[#7字下げ]第四節[#「第四節」は中見出し]

コックリのはじめて俗間に行われたるは両三年以来のことなれども、今日にありては、いたるところこの法を試みざるはなく、これを試むるもの、吉凶禍福、細大のことに至るまで、ことごとくこれによりて卜見すべしと信ずるをもって、往々弊害を生ずるに至れり。余が聞くところによるに、大阪府下にては一時大いに流行したるも、その弊害したがって生ずるを見、警察署よりこれを禁じたりという。余がこのごろ各地方に流行する影響を察するに、またその弊害のすくなからざるを知る。今、その一例を挙ぐるに、伊豆下田近傍のも

の、自身の妻に情郎《いろおとこ》あるかなきかをコックリに向かってたずねたるに、情郎ありという答えを得たるをもって、ただちにその妻に離縁を命じたりという。かくのごときの類、もとより一、二にしてとどまるにあらず。過日|発兌《はつだ》の『明教新誌《めいきょうしんし》』上に、三田某氏の寄せられたる一書あり。その中に曰く、

[#ここから2字下げ]

小生、一夕某氏の宅を訪《と》いしに、老幼男女相集まり、コックリ様の遊戯をなすを目撃せり。そのとき種々さまざまのことをうかがうに、十中六七は当たるもののごとし。しかれども、同席の一人曰く、「既往のことはたいがい誤らざるも、将来のことは当たり難し」と。それはともかくも、同家に一人の病者(別席に臥《ふ》す)あり。その生死をうかがいしに、「本年某月某日に死す」と告げ、ま

「本年中に結婚し、た同席の未婚女、その結婚の期日をうかがいしに、

その夫は美なり」と。また他の一人、「地所を買い入れんとす。利益ありやいなや」と問えば、「あり」と答えり。その三、四名のもの将来の貧富を問いしに、「いずれも富む」と答え、しかして余もそのうちの一人なれども、もとよりこれを信ぜず。世人のこれを信じて盛んに流行するに至らば、その弊害挙げていうべからず。大方の君子、一日も早くこれが理を究めて、かの迷信者を諭されんことを切望の至りにたえざるなり。

[#ここで字下げ終わり]

この言にても知らるるごとく、コックリは児女輩の遊戯同様のものにて、近ごろ当府下にて流行の景況を見るに、書生輩の下宿屋に休日の晩には数名相会し、種々さまざまのことを問いかけて一夕の遊戯となし、市中にては往々、歌舞音曲を交えてコックリとともにおどり戯むる等、実に笑うべきの至りならずや。

[#7字下げ]第亓節[#「第亓節」は中見出し]

余、あらかじめその弊害あるを察し、これを研究して愚民の惑いを解かんと欲し、昨年来各地の報道を請うてその情況を調べ、また自らこれを試みてその原因を考え、このごろようやく、世人のこれを信ずるゆえんを明らかにしたるをもって、ここにその道理を述べて、いささか愚民に諭すところあらんとす。これ、余がこのことをあつめて、『妖怪玄談』第一集となすゆえんなり。今、これを論述するに当たり、その順序次第を立てざるべからず。ゆえに余は、第一にその仕方を説き、第二にその伝来を述べ、第三にその原因を論ずるなり。

[#改ページ]

[#5字下げ]第二段コックリの仕方を論ず[#「第二段コックリの仕方を論ず」は大見出し]

[#7字下げ]第六節[#「第六節」は中見出し]

余が諸方より得たる報道によるに、コックリの仕方は、国々によりて不同ありて一定せざるもののごとし。今、左に二、三の報道を挙げて、その仕方を示さんとす。まず、美濃《みの》国恵美郡中野方村、山田氏より昨年寄せられたる書状によるに曰く、

[#ここから2字下げ]

名古屋、岐阜をはじめ尾濃《びのう》いたるところ、当春来一時流行せしものは、その称を狐狗狸《こっくり》また御傾《おかたぶ》きと名づくるものなり。その方、生竹の長さ一尺四寸亓分なるもの三本を造り、緒《お》をもって中央にて三|叉《さ》に結成し、その上に飯櫃《めしびつ》の蓋《ふた》を載せ、三人各三方より相向かいて座し、おのおの隻手あるいは両手をもって櫃の蓋を緩くおさえ、そのうちの一人はしきりに反復「狐狗狸様、狐狗狸様、御移り下され、御移り下され、さあさあ御移り、早く御移り下され」と祈念し、およそ十分間も祈念したるとき、「御移りになりましたらば、なにとぞ甲某が方へ御傾き下され」といえば、蓋を載せたるまま甲某が方へ傾くとともに、反対の竹足をあぐるなり。そのときは三人ともに手を緩く浮かべ、蓋を離るること亓分ほどとす。それより後は、三人のうちだれにても種々のことを問うことを得べし。すなわち、「彼が年齢は何歳なるか、一傾《いっけい》を十年とし、乙某または丙某が方へ御傾き下され」というとき、目的の人三十代なれば三傾し、亓十代なれば亓傾すべし。端数を問うに、これと同じくただ一年を一傾となすのみ。また「あなたは甚句《じんく》おどりは

御好きか御嫌いか、御好きならば左回りを御願い申します」といえば、好きなれば回転し、嫌いなれば依然たり。このときもまた、手を浮かぶるなり。左右回りに代うるに、御傾き何べんと望むも、あえて効なきにあらず、かえって効あり。その他、なにの数を問うも、なにごとをたずぬるも、知りたることは必ず答えあり。甚句おどり、カッポレおどり、なににても好きなるものは、たとい三人は素人なるも、三|叉《さ》足が芸人の調子に合わせておもしろくおどるべし。このときまた、手を緩く浮かぶるなり。傍観者にしてうかがいたきことあるときは、三人のうちへ申し願いすべし。また、傍観者自ら代わりておさえんとするも勝手次第なり。識者もこれを実験して、その理に黙するあり。たとい黙せざるも、名称によりて答うるのみ。取るべき説なし。

生、これを研究せんと欲し、諸所に臨みて人の行うところを試むるに、信仰薄きものは、たとえ三十分間おさえおるも移ることなく、男女三人なればよく移り、空気流通して精神を爽快ならしむる場所にては移ること遅く、櫃の蓋の上に風呂敷を覆えば、なおよく移るなり。

[#ここで字下げ終わり]

[#7字下げ]第七節[#「第七節」は中見出し]

また、茨城県太田町、前島某氏の報知によるに曰く、

[#ここから2字下げ]

(前略)竹の長さを九寸三分か、あるいは七寸三分に切りて、三本とも節《ふし》を中央に置き、その点を麻にて七巻き半巻きつけ、その上に金輪にあらざる飯鉢《めしばち》の蓋を載せ、その蓋の内には狐狗狸の三字を書し、その蓋の上には奇数の手を載するを規則とす。つぎにその使用法は、若干の人その周囲に座し、実に丁重なる言語をもって、「コックリ様、御寄りになりましたら、早く御回りを願います」という。そのとき、載せたる蓋およびその上に緩く載せたる手、ともにわれわれの請求に応じて、あるいは左、あるいは右へ回転するなり。例えば、人の年齢をたずぬるとせんか。「なにがしの年は何歳なるや御分かりになりますか、御分かりになるなら左に御回りを願います」というときは、すなわち蓋および手ともに左へ回る。そのときまた、「十代なるか二十代なるか、十代なれば右へ、二十代なれば左へ」といって問うときは、もし十代ならば右へ回るなり。もしまたそのとき、「十代にて十幾歳なるか、十一歳なるか」と問うに、十一歳なれば動き、十一歳にあらざれば動かず。この方法によりて吉凶禍福のいかんをうかがうときは、右または左へ回転して、その暗答を得るなり。

[#ここで字下げ終わり]

また、千葉県香取郡飯塚村、寺本氏の報知によるに曰く、

[#ここから2字下げ]

近来、僻地においてコックリと称し、細き竹三本を一尺二寸ずつにきり、中央より尐し下の方を麻にて七回り束ね、これに盆あるい

は飯櫃《めしびつ》の蓋《ふた》を載せ、その上に布を加え、三人にて三方より手を掛け、暫時にして神の来臨ありと称し、それより禍福吉凶、その他いかなることがらにても、これにたずぬるに当たらざるなしと申して愚夫愚婦を迷わしめ、信ずるもの日に増し、ただいまにては真に神仏のなすところと妄想し、容易のことにてはその迷夢を覚破し難し。(中略)ある人の説に、これ電気の作用なりと申せども、これまた了解しがたし、云云《うんぬん》。

[#ここで字下げ終わり]

[#7字下げ]第八節[#「第八節」は中見出し]

また、常州土浦町、亓頭氏の報知によれば、「盆の裏へ狐狗狸の三字を指頭にて書き、それに風呂敷ようのものを掛け、これに燧火《ひうち》をいたす、云云《うんぬん》」とあり。信州高五郡、湯本氏の報知によれば、「竹の長さ各一尺亓寸なるものを取り、その節《ふし》をそろえ、また緒《お》を一尺亓寸に切り、前三本の竹を下より一尺ぐらいの所を結ぶ、云云」とあり。また、ある無名氏よりの報知によるに、「大阪辺りにて用うるものは、竹の長さ各一尺亓寸にて、左よりの麻縄をもってこれを縛し、(中略)竹の足を『おコックリ様、おコックリ様』と三べん唱えながら摩するときは、種々奇怪なることを呈する由、云云」とあり。また、肥後《ひご》国益城郡、柴垣氏の報知によるに、やや以上の仕方と異なるところあれば、左に掲ぐ。

[#ここから2字下げ]

(前略)女竹《めだけ》三本を節込みにて鯨尺《くじらじゃく》一尺四寸四分にきり、これを上より全長の十分の三、下より十分の七の所にて苧紐《おひも》にて結ぶ。その紐の長さも一尺四寸四分なり。しかして、この三本竹を叉《さ》字形となし、その上に盆を伏せ、また茶碗に水と酒とを盛り、これを二本の竹の下に置き、三人のものはおのおの三本の指にて盆の上をおさえ、またほかに一人ありて、その傍らにひざまずき、崇敬の状を呈し、「コックリ様、御たずね申したきことあれば、なにとぞ御出で下され」としきりに言うこと二十分ないし三十分にして、たちまち三人の手辺りに力を生じ、そのきたりしを覚う。そのときに至り、例えば「甲ならば右の竹をあげよ、乙ならば左の竹をあげよ」と言えば、従って応ず。かくのごとくにして過去、未来のことを問うも、その応答、たいてい適中せざるはなし。また、コックリ様は女子を好むなどと申して、三人のものも一人の崇敬者も、ともに童女を用うるをよしという。

[#ここで字下げ終わり]

そのほか、肥前《ひぜん》国|西彼杵《にしそのぎ》郡高島村、吉本氏より報知せられたる仕方は、前述のものと別に異なることなし。ただ尐々他の国にてなすところと異なるは、左の一点なり。[#ここから2字下げ]

(前略)コックリに向かって問答をなす前に、その座に居合わす人々の中において、「汝《なんじ》はいずれの人を好むや」とたずね、そ

の好める人の指を風呂敷の上に加うるを要す、云云《うんぬん》。[#ここで字下げ終わり]

[#7字下げ]第九節[#「第九節」は中見出し]

このごろ宮城県|伊具《いぐ》郡川張村、山本氏より寄せられたる報知によるに、該地に行わるるところの仕方は、大いに他の地方のものと異なるところあるがごとし。ゆえに、その大略を左に掲ぐ。[#ここから2字下げ]

(前略)一尺二寸ずつの竹三本を、左によりたる長さ三尺の麻縄にて、七回半にまといて竪《たて》結びに結び付け、竹の中に狐《きつね》、天狗《てんぐ》、狸《たぬき》と書きたる札を入れ、竹の口を火にてあたため、その上にまたあたためたる塗り盆をいただかせ、風呂敷にてこれを覆い、女児三人、左手を静かにその上に加え、その傍らにて、あるいは太鼓を打ち、あるいは唱歌して、いろいろ囃《はや》し立つるときは、その盆が回り始むるなり。(中略)天五のある座敷にては、いかに囃し立つるも、一向に感覚を惹《ひ》き起こさずして回ることなし、云云。

[#ここで字下げ終わり]

余が昨年伊豆国に遊び、その地にてなすところを見るに、竹の上に載せたる飯櫃《めしびつ》の蓋《ふた》は、暫時の間、炉火にあぶりて用い、その蓋の周囲に座するものの中にて一人が導師となりて、しきりに「コックリ様、御移り下され、回りて下され」と唱え、

他の者は謹みてその御移りを待ちおるなり。このとき用いたる竹は青竹一尺四寸亓分にて、上より三、四寸の所を左よりの麻縄にて結び付け、その上に飯櫃の蓋を載せ、その上に風呂敷を載するなり。

[#7字下げ]第一〇節[#「第一〇節」は中見出し]

また、東京および横浜などにて近日なすところを見るに、その仕方、大体同一なるも、多尐異なるところなきにあらず。今、日本橋区長谷川町、増永氏よりの報知を挙げて示すこと、左のごとし。[#ここから2字下げ]

(前略)丸竹の細さ人の指ぐらいのもの三本のうち、二本は長さ九寸、他の一本は九寸亓分にきり、その節《ふし》を抜き取り、麻糸を左によりたる紐《ひも》にて、右三本の竹を七巻きに結びて一束となし、さらに他の白紙三片を取りて、これに狐《きつね》、狸《たぬき》、天狗《てんぐ》の三字を別々に記し、まるめて一つずつその一束の竹の中に入れ、その入れたる方を下にし、これを机または畳の上に据え置くなり、云云《うんぬん》。

[#ここで字下げ終わり]

「麻糸の中に婦人の府下牛込小石川辺りにてなすところを聞くに、

髪の毛三筋入れ、その縄を七亓三《しめ》に結う」という。

[#7字下げ]第一一節[#「第一一節」は中見出し]

以上、諸国に行わるるところの仕方は種々まちまちにして、一定

の規則なきは明らかなり。竹の寸法、縄の巻き方、飯蓋《めしぶた》、風呂敷の装置《しかけ》等は、必ずしも前述の法式によらざるも、適宜に執り行ってしかるべし。また、これを試むるに当たりて、あるいは衆人一同に「コックリ様、御移り下され」というときと、衆人中一人のみ導師となりていうときと、衆人のほか別に崇敬者を立てていわしむるときとのいろいろの仕方あるも、これまたいずれの法式を用うるも不可なることなし。ただし、コックリは言語を有せざるをもって、問いを起こすときは、あらかじめその答えの方向を定めざるべからず。これを定むるの法、あるいは竹の足のあげ方を取り、あるいは飯蓋の回転の仕方を取るの別ありて、例えば明日の天気をたずねんとするときは、まず天気の吉なるときは足をあげよ、あるいは左右に回転せよと命じおくなり。かくのごとく、あらかじめ相定めてその告ぐるところの答えを見るに、事実に適合するもの十中八九ありという。これ実に奇怪といわざるべからず。さきごろ埼玉県北足立郡中野村、青木氏の報知を得たれば、氏の実験の始末を左に掲げて、その一例を示さん。

[#ここから2字下げ]

(前略)座中の一人盆に向かい、よびて曰く、「狐狗狸《こっくり》よ、狐狗狸よ、汝《なんじ》の座をここに設けたり。速やかに来たれ」と。また曰く、「狐狗狸よ、狐狗狸よ、すでに来たらば、その兆しとして盆を右方にめぐらせ」と。また曰く、「この盆を右方にめぐらすをいとわば、なんぞ左方にめぐらさざるや」と。このとき、盆

の徐々に運行するを見る。けだし、この動作たる、突然行わんと欲するもあたわず、尐なくも三、四回以上これを試みざれば動かず。もっとも、一回この動作を呈せし家は、その後いずれの日にこれを行うも来たらざるなく、かつ、その来たるや迅速なり。また曰く、「その盆をして一周せしめよ」と。このとき、盆全く一周す。また曰く、「汝、狐なれば、この足(三本の竹のうち一本を指していう)をあげよ」と。このとき足あがらざるをもって、衆その狐にあらざるを知る。また曰く、「汝、天狗ならばこの足をあげよ」と。このときまた足あがらざるをもって、衆その天狗にあらざるを知る。また曰く、「しからば汝、猫ならんか。果たして猫ならばこの足をあげよ」と。このとき竹の足あがること一寸ばかりゆえに、猫の来たると仮定す。また曰く、「汝、この足を三寸ほどあげよ」と。このとき竹の足あがること三寸。また曰く、「汝は甲村より来たるや。もし、果たして甲村に住するものならばこの足をあげよ」と。このとき足あがらざるをもって、すなわち甲村より来たらざるを知る。また曰く、「もし乙村ならばこの足をあげよ」と。このとき足あがるゆえに、乙村より来たるものと断定す。また曰く、「汝《なんじ》は楽戯《あそび》に来たるや」と。このとき足あがらざるゆえ、楽戯にあらずと断定す。また曰く、「しからば、汝は物《もの》教《おし》えに来たるか。物教えに来たるならばこの足をあげよ」と。このとき竹の足あがる。すなわち、その吉凶禍福を告ぐるために来たるを知る。また曰く、「某の家には出火等の禍《わざわい》ありや」と。このと

き足あがらず。すなわち、災いのなきを知る。また曰く、「しからば、某の家には幸福ありや。もし幸福あらばこの足をあげよ」と。このとき足あがらず。また曰く、「しからば、福きたらざるか」と。このときまた足あがらず。また曰く、「しからば、いまだ全く明らかならざるか」と。このとき足あがる。すなわち、禍福いまだ知れずと判断す。また曰く、「汝の年齢は幾歳なりや。一歳を一足としてこの足をあげよ」と。このとき竹の足あがること十回なるをもって、この猫の年齢十歳なるを知る。また曰く、「明日は晴天なればこの足をあげよ」と。このとき足あがらず。また曰く、「しからば、明日は雤天なりや」と。このときまた足あがらず。また曰く、「しからば、雪天なりや」と。このとき一本の足徐々としてあがる。衆、すなわち翌日は降雪と断定す。(中略)また、コックリに向かって問うて曰く、「汝は一本の足にておどるや」と。このとき足あがらず。また問う、「汝は三本の足にておどるや」と。このとき足あがらず。また問う、「汝二本の足にておどるや」と。このとき足あがる。すなわち、そ

「軍歌にておどるや」の二本の足にておどるべしと断定す。また問う、

と。このとき足あがらず。また問う、「情死節《しんじゅうぶし》にておどるや」と。このとき足あがらず。また問う、「しからば相撲|甚句《じんく》にておどるや」と。このとき竹の足あがる。よって一人、相撲甚句を歌い、竹の足二本とその歌の調子に合わせ、こもごもその足を上下す。歌人の音声清らかにして調子熟すれば、その足の上下一層迅速にして、座中を縦横におどりあがる。すでにこの

ときに当たりては、これまで三人にてなしたるも、ただ一人にて、よくその足をして上下せしむることを得るに至る。

以上はその一例の概略を記載せしものなり。その他、小生の実験するところによるに、晴雤、年齢のほかに時間、人数、文字等のことをたずぬるも、大抵みな適中すといえども、例えば一つの書籍を取りて、この紙数は幾枚ありと問うがごとき、綿密なることは確答を得ること難し。また、狐、狗《いぬ》、狸、猫のほか種々の獣類至らざるなしといえども、なかんずく天狗と名づくるものの来たるときは、その予言もっともよく事実に適中し、衆人の最も信用を置くところなり。臼、木鉢、皿等の重量のものをめぐらして、よくその足をあぐるは、大抵この天狗の来たるときに限る、云云《うんぬん》。[#ここで字下げ終わり]

[#7字下げ]第一二節[#「第一二節」は中見出し]

これによりてこれをみるも、コックリはよく未然のことを予言するの力あること明らかなり。このごろ近傍の結髪師《かみゆい》来たりて曰く、「私ども四、亓日以前、ある家に至りコックリをなしたるに、その告ぐるところのもの、いちいち事実に合するに驚けり。まずその次第を申せば、はじめに、『あなたは狐か、狸か、春日大明神か』とたずねたれば、足にて『春日大明神』と答えたり。つぎに、『酒を御好みか、餅を御好みか、菓子を御好みか』とたずねたれば、『酒を好む』と答えたり。よって、酒をその前に供えていろいろの

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