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关于日本民族物哀审美意识

关于日本民族物哀审美意识
关于日本民族物哀审美意识

毕业论文

题目日本大和民族の物哀れの審美意識について

关于日本民族物哀审美意识

【摘要】“物哀”是日本江户时代国学大家本居宣长提出的文学理念,同时也是日本美学的基调。“物”,指世间万物,“哀”,指悲哀,物我同哀是最直观的解释,但它的内涵又不仅仅局限于此,物哀的范围要比悲哀广阔得多,著名日本文化研究专家叶渭渠指出:物哀除作悲哀、悲惨、悲伤的解释外,还应包括同情、感动、壮美等含义。这种情绪,包括对他人悲哀的共鸣,乃至对世相悲哀的共鸣。1物哀涉及到了日本人的情感世界,影响到日本人的生活方式。甚至成为了日本民族心理基因的一部分。不论是在优美的日本文学,还是在日本人的日常生活中无处不见这种审美意识的存在与影响。其形成一方面受到日本岛国固有的自然条件、地理环境以及日本民族特有的自然观的影响,另一方面亦具有浓厚的宗教色彩。

【关键词】物哀;审美意识;自然观

①《物哀与幽玄》叶渭渠著第134页广西师范大学出版社2002

日本大和民族の物哀れの審美意識について

要旨

「物哀れ」は江戸時代の国学の大学者である本局宣长が提出した文学理念だ。同時に、日本美学の基礎でもある。「物」は世間万物、「哀れ」は悲しみを示して、物我は同時に悲しみを感じるのは最も直観的な説明だが、その意味はこれだけではない、「物哀れ」の内包は悲しみよりずっと広い。日本の有名な研究家である葉渭渠によると「物哀れ」は悲哀、悲惨、悲傷の意味を除いて、同情、感動、雄壮で美しいという意味も含んでいる。こういう情緒、他人の悲しみの共鳴を含み、更には世相の悲しみの共鳴も含む。物哀れは日本人の感情の世界に浸透して、日本人の生活方式にも及んでくる。日本民族の心理の遺伝子の一部分にもなる。優美な日本の文学であろうと、日本人の日常生活であろうと、こういう審美意識の存在と影響がどこにも会わなくない。その意識の形成は島国としての日本の固有の自然環境、地理環境及び日本民族の特有な自然観の影響を受けて、また濃厚な宗教の色もある。

キーワード:物哀れ審美意識自然観

目次

はじめに.....................................................................1第一章「物哀れ」の由来と進化の過程 . (2)

1.1「物哀れ」の由来 (2)

1.2「物哀れ」の進化の過程 (2)

1.2.1「哀れ」 (2)

1.2.2「物哀れ」 (3)

第二章日本の文学作品の中から表現する「物哀れ」 (4)

第三章日本人の生活の中の「物哀れ」 (6)

3.1日本桜の「物哀れ」の美しさ (6)

3.2古典庭園の「物哀れ」の美しさ (6)

第四章日本人の審美意識の根源 (8)

4.1自然環境の影響 (8)

4.2宗教意識の影響 (8)

終わりに (10)

参考文献 (15)

謝辞......................................... 错误!未定义书签。

はじめに

物の哀れとは、人性を知て、人情を重視して、人心を順応して、人の感情を理解するということだ。それは上品、それはみやび、それは落ち着き、それは俗を離れること、それは優しい美しさのあること、細く美しいこと、感情が細やかなこと、世俗的な物事に拘らないこと。自然な人性を原点にする、世俗観念を無視する、万事万物を包容する、理解する、同情するのこと。特には嘆き悲しむこと、感心して褒め称えること、哀れむこと悲しむこと、気の塞ぐことなどの心に留めて忘れない感情の共鳴力、共感的理解の能力だ。世間の万事万物を目で見て、耳で聞き、心で感じて、そしたら、物哀れの意味が少し分かると思う。さらにいえば、物哀れというのは万物から湧いてくる感情を感じて、そして心得たものだ。又、ある意味からいって、物哀れは他人及び世間への哀れの共鳴だ。

第一章「物哀れ」の由来と進化の過程

1.1「物哀れ」の由来

「もののあわれ」とは、『石上私淑言』で宣長は、歌におけ「あはれ」の用例をあげながら、「見る物聞く事なすわざにふれて情(ココロ)の深く感ずる事」を「あはれ」と言うのだと述べている。つまり、揺れ動く人の心を、物のあわれを知ると言うのだ。歌や物語もこの心の動きがもとになる。たとえば、宣長が高く評価し「源氏物語」も、「この物語、物の哀れを知るより外なし」と言っている。文学はそのような人間の本性に根ざしたものであり、そこに存在価値があるだ。

これは、宣長が、和歌や「源氏物語」から見つけた平安時代の文学、また貴族の生活の底流を流れる美意識だ。

この「もののあわれ」と言う文学的概念の発見は、宣長に和歌の発生からその美的世界までの全局面を把握し説明することを可能にした。「安波礼弁」で、「歌道ハアハレノ一言ヨリ外ニ余義ナシ」と言い、歌の発生はここにあるとする。「もののあわれを知る心」という、人が事にふれて感動し、事の趣を深く感受する心の働きから歌が生まれること、そしてその感動を言葉にしてほかの人へも伝えたいという伝達の欲求から「よき歌」への関心もまた生じる事が説かれた。

1.2「物哀れ」の進化の過程

1.2.1「哀れ」

「物の哀れ」は長い期間をかけて、「哀れ」から発展した。奈良時代、平安時代初期、神、民族、国家共同体を追求する中の「誠」意識から「哀れ」が出た。古代神話、歴史伝説、歌謡などの口承文学からまず「誠」意識が現れ、それを基づいて、「哀れ」という美意識が芽生えた。「あはれ」は最も「あ」と「はれ」と二つの感嘆語の組み合わせとして、人々が労働、戦闘、信仰、性欲などの衝動で発した喜び或いは悲しみの言葉で、ある本能的な感慨だ。文化がまだ混沌していた時代には、他の文学の表現法がまだ現れていないから、このような感嘆語は「歌」として古代の原始歌謡に現れた。「あはれ」は日本漢字で表現すると、「哀」になる。字を見ると、哀愁の意味を読み取れる。正倉院の古書には万葉仮名で書いた例がある。「春佐米乃阿波礼」。これは春雨を見て「哀れ」な気

分になって、ある繊細で哀愁な感情の表現だ。「哀れ」は哀愁だけでなく、歓喜の意味にも使われている。『古語拾遺』には天照大神が現れたとき、空が晴れ渡って、神々が喜び合って踊りながら、こんな歌を歌った。「哀阿那于茂志吕(あはれあなおもしろ)」。

1.2.2「物哀れ」

「哀れ」が広く使われるうちにだんだん単純の感嘆から物心合一の意識まで発展して、「哀れ」は悲哀、同情、愛憐などの感情を表して、感傷的な傾向がある。可憐な対象を主体として、人の真情を表現した「哀れ」は「誠」の美学精神と通じる。同時に対象の中に主観的感情的に入り込んで情緒的から情趣的感動になったから、「哀れ」だけではこんな感情、理念を完璧に表せない。この時、対象の上に「の」を付け加えて、「哀れ」と結んで、「物の哀れ」がはじめて出た。「哀れ」は平安時代にやっと「物の哀れ」になって、感動的意味から特別な情趣的意味になった。

「源氏物语」はその発展を促して、日本民族の美意識の主体になった。紫式部は「源氏物语」には「誠」を根底にして、「哀れ」を「物哀れ」に発展して、内容も豊富にして、贊美、親愛,共鳴、同情、可憐、悲傷などの内容を表す。また、感動の対象も人と物の限界を超えて、社会世相まで拡大した。調査によると、「源氏物语」には「哀れ」は1044回、「物の哀れ」は14回表したそうだ。だから、「哀れ」から「物の哀れ」の美意識まで発展したのは紫式部によって完成したと言える。

国学者である本居宣長は「源氏物语」の作中から「物の哀れ」の用例十二箇所を抽出してこの物語の本質が「物の哀れ」にあることを実証的に論証するとともに、この精神こそが日本文学の本質であると説いた。

第二章日本の文学作品の中から表現する「物哀れ」

日本文学の世界に接すれば接するほど、「哀れを重んじる日本文の世界」と「源氏物語」は日本古典文学の最高傑作だと言われている。その全編に漂っている基調は「もののあはれ」である。また軍記物語の代表作の『平家物語』は平家一門が繁栄し、やがて西海に滅び去っていく過程を描き、それにまつわる女性たちの哀れな逸話などを添えて、「哀れ」な物語の世界を創り出した。詩歌においても同様だ。古代から近世にわたって、「あはれ」とか、「さび」「わび」とかの理念は、詩歌世界を貫く日本独特のものだ。「山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば」などは、なんという凄まじい情緒だろう。そして随筆として、鴨長明の『方丈記』は天災地変を書いて、人生の変転無常を嘆き、「哀れ」をつくづくと描いた。

近代になっても、「哀れ」の調子は依然として日本文学の底に流れている。特に川端康成の文学はその極致に達していると言われる。例えば『古都』の中の、千重子の憂鬱と柔順。一本のリラの花でさえ彼女にあれこれと様々なことを思い浮かばせ、感傷的にさせた。また『千羽鶴』の寂しく美しい歪んだ倫理の世界、『伊豆の踊子』の抒情味ゆたかな青春の感傷、『雪国』の虚無の花と称せられる抒情の哀しい美しさ……。ほかに、芥川竜之介の『羅生門』『蜜柑』、三島由紀夫の『仮面の告白』『潮騒』、森鴎外や徳富蘆花、もう少し後の村上春樹などの作品の系列にも「哀れ」の色彩が漂っていると思われる。このように、古代から近代に至る日本文学には、「哀れ」の基調がずっと潜んでいると言えるだろう。確かに、江戸時代の有名な学者の本居宣長が主張したように、「もののあはれ」の文学評論を展開し、日本の文学作品には多かれ少なかれ「もののあはれ」の情緒が隠れていることが日本文学の大きな特徴だろう。

現代日本文学においても、同じことが言えると思う。現代の日本文学作品はあまり読んでいないが、大衆文学の反映としてのテレビドラマや映画はよく見ている。日本のドラマや映画は悲劇が多いとよく言われている。日本のドラマや映画を何部も見た後、私も同じことを感じた。『白い巨塔』、『氷点』、『失楽園』、『世界の中心で愛を呼ぶ』、『魔女の条件』、『東京ラブストーリー』、『一リットルの涙』、『神様、もう少しだけ』……一つ一つの悲劇が強く人々の心を打っている。悲劇も「哀れ」の一種だろう。また、映画やドラマは文学様式の一種として、文学の実像を反映していると言えるだろう。上記の事実から、現代日本文学においても「哀れ」の色彩が感じ取れる。

このように、はかなさ、寂しさ、むなしさ、哀愁や悲劇を好む「哀れ」な日

本文学の世界は独特で、魅力に満ちている。実は、「哀れ」は文学世界の美意識だけでなく、現実世界の日本の人々の美意識でもある。多くの日本人は悲哀や滅びの中に美を求めている。桜が散るのも、滅びながらも美しい。平凡で円満な生命よりも、短くて悲壮な滅びが美しい、というのが日本的な考え方だろう。そういう美意識があるからこそ、「哀れ」の日本文学の世界はいつの時代でも残るのだろう。

第三章日本人の生活の中の「物哀れ」

3.1日本桜の「物哀れ」の美しさ

桜は十日間ほどで、その役目を終えたかのようにぱっと散る。それが清く感じられる。日本で国花として尊重されている。その花も物哀れの日本の自然美意識にもっとも典型な体現だ。桜の咲く時間が非常に短くてに地に落ちる。しかし、咲いている美しさが人々に感動させる。それは純潔なシンボルである。人々は愛情を体験するように短くても美しさを感じられる。桜から与える美は日本人に死を恐れ、死を逃げるから死に近づいて、死を褒めるまでの生死観に転じさせる。生命の瞬時の輝きを求める。死の中に永遠の静寂を求めたい。彼らは生命が桜のように美しく咲いて、一番美しく咲いている最中に瞬間に散るのも生命の素晴らしさを信じる。美しさの中に辛さと悲壮が溢れる。花見の時、桜を見ると、桜の美しさを知る、心からこの美しさを理解する、「嗚呼~なんと美しい桜よ」と感慨する、その感覚は物の哀れだ。悟性がいい人は物哀れを感じると、感情を表すなければならない。しかし、万物を見ると、それなりの感覚を感じられない人もいる、感動するべきなことを見ると感動しない人もいる、こんな人とは物哀れを知らない人だ。

「さまざまのこと、思ひ出す、桜かな。」

松尾芭蕉がひとつの俳句に人々の情を表現したように,人々それぞれの思い出が桜を媒介として蘇ってくるという不思議な魅力は日本人の桜を好む大きな原因ではないだろうか。

3.2 古典庭園の「物哀れ」の美しさ

日本の庭園文化は、ある特定の時代に創造されたひとつの意匠ではない。その時代の諸文化と深く関わりながらさまざまに変化してきたものを全て含めている。

川端康成「美しい日本の私」のなかに次の記述がある。「日本の庭園もまた大きい自然を象徴するものです。西洋の庭園が多くは均整に造られるのにくらべて、日本の庭園はたいてい不均整に造られますが、不均整は均整よりも、多くのもの、広いものを象徴できるからでありませう。勿論その不均整は、日本人の繊細微妙な感性によって釣り合ひが保たれての上であります。日本の造園ほど複雑、多趣、綿密、したがってむずかしい造園法はありません。枯山水と

いう岩や石を組み合わせるだけの法は、その石組みによって、そこにない山や川、また大海の波の打ち寄せるさままでを現はします。その凝縮を極めると、日本の盆栽になり、盆石となります。」

日本庭園は、終始自然をモチーフにして風景をさまざまな意匠で演出してきた。その意味で基本的には、日本庭園は風景式庭園ということができる。日本の庭園意匠は、自然をそのまま具現化するのでなく、象徴的に抽象化する点に特徴がある。さらに意匠は、自然の景観や神仙の世界、浄土の世界などを縮景させて修景してきたといえるのではないだろうか。その意味で日本庭園は、「象徴的縮景式庭園」ということができる。日本庭園という作品は、ひとことで言うならば、自然を素材にした屋外芸術であり空間芸術といえる。そこにはさまざまな思想や意匠が入り、それを庭園というかたちに凝縮しまとめあげられた総合芸術ともいえるのではないだろうか。

この自然への追求は『こころがない』ように見えるが、実は、こころがこもっている庭園のつくり方です。これこそ、ちゃんと日本のクラッシクな庭園の細かさ、哀れみ、寂しさと敏感なもの哀れの美を表した。

第四章日本人の審美意識の根源

4.1自然環境の影響

物哀れは日本大和民族の伝統的な審美意識として、この形成は日本大和民族の固有な自然条件、自然観と植物美学観の影響を受けたことは当たり前だと見られている。日本人の原始的な物哀れの美意識の形成も一定の程度上で彼らが暮らしている自然環境によって決まることだ。

日本は狭い島国であり、自然に恵まれ、温和な自然条件を持っている。その自然は日本人の生活様式やものの考え方に、多くの影響を与えてきた。春夏秋冬の四季の微妙変化から様な芸術や生活習慣が生まれている。文学において自然はいつも重要なテーマであり、特に和歌や俳句が花鳥風月を詠い、俳句に季語を詠み込むのも、その小世界に自然を取り入れようとする姿勢の表れだ。茶道、庭園、華道などにおいて、人工の極致として、ありのままの飾らない自然を再現するようになった。つまり、自然と一体となって、ありのままの力を発揮することであるとしている。それゆえ自然と自分を一体化し、自然の心をわが心として生きる感情が日本人の哲学、思想、宗教など全ての精神活動の根本に流れている。このような自然への親しみ、自然と我との一体化は、さらに自然を楽しみ、現世を謳歌する現実肯定の考え方を生み出していく。

このような自然環境の中で、人々は繊細な感覚と素朴の感情を身につけた。この自然美感と季節美感さらに日本特有の物哀れ、空寂に進化している精神は日本大和民族の審美主体になっている。

4.2宗教意識の影響

日本大和民族の「物哀れ」美意識の発展も宗教意識の影響を受けている。神道教は日本民族固有の神々への信仰、信頼を有する生き方だ。縄文時代からの自然崇拝や精霊信仰などから発し、産土神?氏神?祖先神?祖国神等の崇拝へと変遷し、日本人の生活文化に内在するものだ。その特性は現存する宮廷の伝承的神事や民俗信仰の中にみられる。非常に古くから存在し,自然崇拝と人格神をもった祖先崇拝などが中心的だ。このような万物には霊があって、生命、自然の真実を関心の特徴こそ「物」の基礎だ。

仏教の禅宗を崇拝する日本人はかなり多い。禅宗の中で「美は無常、無常も

美」の生死観がある。落葉は美を思われるのは、散る、つまり死ということだ。しばらくの時、命の光と存在の価値をはっきり示す。桜は日本人に好まれる理由も上記のようである。ほんの一瞬の間舞い落ちた花びらは、日本人特有の無常観を呼びかける。花見に行く日本人の心は花の無常を哀れむ。このような一期一会の中で、命の美しさを感じ取る。この禅宗の観点による、死は終わりではない、出発点である。だから、ほとんどの時、日本人の審美の趣は死との結びがある。仏教の悲観の宿命の話、生命の無常は「哀れ」の意味をさらに深化した。

儒家は社会生活の理性精神と自然万物の現世精神を重視している。日本の儒学は中国の儒学の現世精神を受け入れ、そして日本の独特な享楽主義に転化しました。なぜ物哀れは哀れみを表すか、現世の短さ、生命の無常と美が永久にならないということを感傷的になるからだ。

終わりに

「物の哀れ」は日本人の人生観に一番大きな影響な生死観と言える。その主体は瞬間美を求めて、美しい瞬間で永久不变の静寂を求める。死が最高の芸術、1種の美の表現で、芸術の極致が死滅だと川端康成は主張する。葉渭渠はさらに日本人の美意識の中に瞬間美の理念が存在して、すなわち美の短さを賛美すると指摘した。古代日本人は自分を桜に例えて、瞬間美の観念自殺で人生の極点になる行為に転換した。彼らの殉死の意義も瞬間の生命の光を求めることにあって、死滅の中で永久不变の静かさを求めることを企む。そのため、生命を求める一瞬の間はぱっと光リ輝いて、「物の哀れ」の重要な特質だ。

参考文献

[1]叶渭渠《川端康成评传》[M]北京:中国社会科学出版社 1989

[2]叶渭渠《日本古代思想史》[M]北京:中国社会科学出社 1996

[3] 叶渭渠、唐月梅《物哀与幽玄》[M]桂林:广西师范大学出版社2002

[4]叶渭渠《日本古代文学思潮史》[M]北京:中国社会科学出版社 1996

[5] 杨鸥《日本文学与现代化》[N]《人民日报》海外版2004—07--26

[6] 陈映真《诺贝尔文学奖全集》[M]台北:远景事业出版社1983

[7] 梅原猛《森林思想—日本文化的原点》[M]北京:中国国际广播出版社1993

[8] 西田正好《日本的美—其本质和展开》[M]东京:创元社 1970

[9] 村冈典嗣《日本文化史概说》[M]东京:岩波书店 1949

[10] 本居宣長《紫文要领》[M]东京:岩波书店 2010

日本人的国民性

日本人的国民性 摘要:所谓国民性就是由于一个民族在其特定的生存环境当中为了生存而演化培养出来的与自然环境相协调的民族心理习惯,并以一种文化形态加以定格,成为民族行为方式的具有道德约束的异化同时又内在化的力量。 双面日本人_________矛盾的性格 关键字:日本人国民性间人主义自我意识羞耻 每个国家都有每个国家的民族特点。美国社会重视自我,所以美国人大都个性较强,有点 儿个人英雄主义的味道。英国社会也很崇尚礼仪道德,所以有英国绅士之说。德国社会最 讲规则,所以德国人循规蹈矩世界著名。日本社会重视协调一致,讲究团队精神,所以日 本人随大流者居多,人为己为,人云亦云,这是日本人的天生秉性。 从日本国内外学者的研究成果中,我们不难发现日本民族所具有的一些共同的显著特点,具体如下: 美国文化人类学者R.Benedict于1946年发表了著名的『菊と刀』一书,1948 年由长古川松治翻译成日文在日本出版发行,一度成为畅销书。书中与美国的“罪恶文化”相对比,提出了日本文化为“羞耻文化”。所谓“罪恶文化”,是说美国人用罪恶感来约束自己的行为,行事之前会考虑自己的行为是否是犯罪。所谓“羞耻文化”,是指日本人很重视羞耻二字,在意他人对自己行为的评价,所以自身的言行往往会受到外界的影响和左右,甚至会丧失自我,根据他人的标准来决定自己的行动。和日本人接触过的人都有感觉,觉得日本人说话吞吞吐吐,办事思前想后,顾虑重重,不痛快,其实都是源于顾虑羞耻。羞耻之心限定了日本人的思维和行为,具体表现在自我意识薄弱,不突出表现自己,喜欢随声附和、随波逐流,保持一团和气。当然,日本人也有自我意识很强、不顾羞耻的时候。我有一个朋友是大连某高级宾馆的总经理,他曾向我咨询说:“日本应该是礼仪之邦,可是外国游客中最属日本人挑剔多,不好接待,是何道理?”我告诉他:“日本人对内和对外的意识不同,对内讲协调配合,对外放松了对自己的约束,所以也就顾不了什么礼仪和羞耻了,这是日本人的两面性吧?”这个事例说明,日本人的羞耻心只表现在日本人之间,对外国人的行为应该是另当别论。《菊花和刀》说的就是日本人的这种双重性格。 1948年,川岛武宣发表了『日本社会の家族的構成』(日本评论社)一书。主要内容讲述了日本社会是家族式的集团,其原理与民主主义相对立,来源于日本的家族制度的家长制,主要规范有以下几点: ①权威主义:日本人相信、惧怕权威,对权威无条件服从。在人际交往中,重视对方的身份和社会地位。 ②集团主义:日本人喜于集体行动,不愿脱离集体单独行动。在集体里营造一种家长和子孙的家庭气氛,集团内部保持和谐,树立维护集体利益和一致对外的意识。 ③封闭意识:日本人在人际交往中,重视内外有别,一般只和同集团内的人交往。

从东山魁夷的_一片树叶_看日本人的审美意识

2012.2 语 文学刊○季红 (大连民族学院外国语言文化学院,辽宁大连116600) 从东山魁夷的《一片树叶》看日本人的审美意识 [摘要]东山魁夷的散文 《一片树叶》,通篇都散发着淡淡的日本情调,体现了日本人独特的“物哀”和“幽玄”的审美意识。 [关键词]东山魁夷; 《一片树叶》;日本;审美意识中图分类号:I 106.6文献标识码:A文章编号:1672-8610(2012)2-0074-01 [作者简介]季红,辽宁大连民族学院外国语言文化学院日语系副教授,文学硕士,研究方向:日本语言文化研究。 东山魁夷是当代日本画的泰斗,也是著名的散文家。他的画和散文一样极富情调之美,二者融为一体,具有淡雅的风格和恬美的意境,在清澄的静寂中蕴藏着幽深的内涵。作品中常常流露出日本民族独特的审美意识—— —“物哀”和“幽玄” ,“表现出一种对日本古典传统的向往,一种对日本风景的倾心,一种对日本美的爱心”。东山魁夷的散文成就卓著,在日本与川端康成并称“双璧”。对于他的散文,川端康成有如下评价: “正如他的绘画一样,他的散文将自然、人生、艺术三者巧妙地融为一体,有对历史深沉的回忆,有对生命执著的追求,有对美的热烈的呼唤。东山先生说过,旅行、绘画和写散文,是他一生的三大要素。” 这种绝美的意境与东山魁夷的人生经历有很大的关系。东山魁夷出生于横滨,于神户度过少年时代。横滨和神户是日本两大开放城市,这使东山魁夷在少年时代就受到了异国情调美的熏陶。由此,东山魁夷萌生了对西方美术的兴趣,而文学方面他却偏爱本民族的东西。1926年东山魁夷考入东京美术学校日本画系。虽然没能如愿,但他依然没有放弃自己的理想。毕业之后,东山魁夷到欧洲留学,专注研究自己喜欢的西方艺术,同时,以此来发现日本民族艺术之美。正所谓“人目短于自见,故借镜以观形”。东山魁夷曾在《东方和西方》一文中这样写道:“温润的岛国环境,培育了日本人亲近自然、爱恋人生的温柔细腻的情感。在感觉的洗练方面,别国无可伦比。”东山魁夷善于以西方写实的眼光捕捉日本情调美,表现未经现代文明污染的纯洁的大自然。这不仅体现在东山的画中,更清楚地反映在东山的散文中。 东山魁夷的散文《一片树叶》表现出他对日本情调美的讴歌之意和对生命的赞美之情。作者通过对最平凡的一片树叶出神入化的描写,引发出许多关于人生的哲理。《一片树 叶》由三部分构成。一是对圆山月夜樱花的描写与感悟;二是对战争中生命的体验;三是对一片树叶诞生和衰亡的感悟。作者以极其简洁而又澄净的文字,描写了自己与圆山月夜樱花的奇缘巧遇,体现了人与景的物我相融,感受到人生的短晢,从而进一步感悟到人应该更加热爱生命。而这种对生命的感悟则是来自于战争中对生命的体验。清澄的自然和朴素的人性唤起了“我”生命的活力,让“我”倍感生命的充实。从而感悟到人应该谦虚地看待自然和风景,哪怕是庭前的一草一木,一砂一石。从一片树叶的生与死感悟不断轮回的生命,提醒我们要珍视所有的生命及生命的美好、多样。作品通篇洋溢着静谧和淳朴的风格,体现出东山魁夷对风景有着独到的领悟,时刻让我们感受到日本文学艺术中蕴含的“物哀”和“幽玄”之美。 关于“物哀”与“幽玄”的解释颇多。关于“幽玄”《广辞苑》有如下三种解释:①深奥莫测,回味悠长,富有情趣。②高雅,温贤,优雅。③日本文学论、歌论理念之一,以优艳之基调,蕴无限情趣,余情于言外。通过其表现技巧显现一种气氛与富有情调的内容。总之,“‘幽玄’是一种境界,它传达一种深邃幽远的韵味,并充满朦胧的余情,是日本古典文学论、日本歌论的审美理念之一”。“‘物哀’是日本江户时期国学家本居宣长由和歌和《源氏物语》发现并加以概括总结的,是平安时代王朝文学和贵族生活态度中的美的理念。”它构成日本人审美意识的主体和底流。“物哀”所表现的是一种精神源泉发出的“物心合一”的审美观念,抒发的是一种悲与美的情怀,表现的是人的真实感动与敬畏。 散文《一片树叶》全篇从始至终弥漫着一种亦真亦幻的氛围,单纯中蕴含着丰富的恬淡及伤感的情愫。我们在文中很容易发现日本人喜爱的“物哀”与“幽玄”之美。文章的开头 文学史与文艺理论 74

日本人的美意识与无常思想

日本人的美意识与无常思想 核心提示:日本人感受自然之美、生命之美、生活之美的视角或逻辑常常与我们所习惯的审美经验颇不吻合,并且,日本传统文化中最具代表性的美意识又常常与佛教的无常思想有着密切的联系。了解日本人的美意识,直接涉及日本人的价值观及其文化背景,对我们理解现代日本人的精神结构、行为准则有着深远的意义。本文从?‘飞花落叶’之美?、?不圆满的美?、?‘侘’与‘寂’之美?三个方面讨论了日本人的美意识与无常思想的联系。 “无常”和美意识 一个民族如同一个人一样,成长到一定的年龄,理解了死亡是自身必须面对的现实问题时,就会重新思考生命的意义、存在的意义,以及死亡的意义,最后总结出人应该如何活着。可以说,生死观决定着一个人或者一个民族最根本的价值观。 在日本,面对生死无常,虽然令人慨叹,但是人们并不认为这是一个应该超越的问题。人们不仅在无常的状态下生活,而且还发展为品味无常、享受无常的境界。然而,正如美国学者阿瑟·丹托所指出:“没有一种文化没有其对待死亡的方式,或没有对待苦难的办法。”可以说,在日本思想史的走向中有一条日本人为超越无常悲感、从无常悲感的压抑下重新获得精神自由而不懈地思索、实践的历程。并且,这种探索最大的特征就是它与日本的文学史、艺术史结合在一起,使无常与美、死与美的思考作为大量的日本文化史的结晶而留给后世。 这里的“无常”,是佛教用语。佛教认为,世间一切事物,都处在生起、变异、坏灭的过程中,迁流不居,绝无常住性,故名。《无常偈》曰:“诸行无常,是生灭法。”6世纪佛教传入日本,1000多年来已全面渗入日本社会生活的各个角落,成为日本文化形成的要素之一。人们在研究日本文化尤其在探讨日本古代文化时,佛教中的无常思想几乎是一个无处不在的词汇。 而美的思考即所谓美意识,是指人们的审美心理、审美情感以及判断美的基准和思考。作为日本古代重要文艺理念的“物哀”、“侘”、“寂”等概念,就是古代日本人美意识的

从日本料理看日本国民性格

第29卷增刊Vol.29 Suppl广西大学学报(哲学社会科学版) JournalofGuangxiUniversity(PhilosophyandSocial Science)2007年10月Oct., 2007 从日本料理看日本人的国民性格Ξ马慧婕 (广西大学外国语学院日语系,广西南宁530004) [摘要] 一个国家的饮食文化不仅与该国的地理条件、国民的口味习惯有关, 同时也反映了该国的文化特征和国民性格。因此,在某种程度上可以说,从一个国家的料理特点能看出其国民性格。大和民族是一个具有自己独特性格的民族,本文以日本料理的特征为切入点,着重分析了是日本人的性格和心理,从中了解日本人的自然观,审美意 识和包容性。 [关键词] 日本料理;自然观;审美意识;包容性 [中图分类号] C912 文献标识码:A 文 章编号:100128182(2007)增20251202 从所周知,日本是一个岛国,北部与西伯利亚临近,西部与朝鲜半岛、中国大陆隔海相望, 这样的地理位置有利于吸收来自大陆的文化。因此,“日本自建国以来,在保有其固有文化的同时也在不断的摄取外来文化,从而建立起独自的融合文化”(《日本风情录》周平)。日本处于开放的海洋型地理环境,在与外界的接触、交流中,有着得天独厚的条件。居住在沿海开放环境下的人们,由于经常与外界交流和竞争,思维对象倾向于外界,导致 了文化上的开放性性格。日本文化中的开放性特性,使得日本文化在对待外来文化和文明时,只要是对自己有用的,有好处的,一概来者不拒,不仅是不拒,而且上以一种积极的、认真的态度来对待。研究日本人这种独特的国民性格可以让我们更了解日本这个国家,也是语言学习不可忽视的的环节。 饮食文化在任何一个国家的文化中都占有重要的地位。世界各国的饮食都自有其独特之处,而饮食文化的形成与该地区的文化及人民的生活环境都有着不可分割的关系。例如:中国四川省一带由于气候炎热潮湿,此地的居民都喜爱吃辛辣的食品,制作料理时麻 辣的调味料更是不可或缺,可以说四川的独特自然环境形成了它自身的饮食文化。然而,关于隐含在一国料理中的国民性格及思维方式的研究还不是很多。在日本料理里反映 了日本人怎样的性格和心理呢?本文将在论述日本文化和国民的生活环境等要素对日本料理的影响的基础上,进一步剖析在日本料理中所包含的日本人的国民性格。 一、日本料理与日本人的自然观 受海潮的影响,日本的海洋资源丰富海产品种类繁多, 因此日本的近海渔业相当的发达。据调查,日本人自古就常用各种鱼作为料理的食材,至今日本料理里大部分的原料仍是以海产品居多。此外,日本由于气候温暖,日照和雨量都相当充沛,十分适宜植物的生长,所 以日本的森林面积辽阔,约占全国国土面积的60%,是世界上少数几个森林面积超过国 土面积一半以上的国家之一。身处这样的自然环境中,培养了日本人对自然的敏感,于是

从茶道来看日本人的审美意识 2

从茶道来看日本人的审美意识 日本茶道是在“日常茶饭事”的基础上发展起来的,它将日常生活与宗教、哲学、伦理和美学联系起来,成为一门综合性的文化艺术活动。本文着重从其美学价值出发,以茶道的精神内涵为突破口,探讨研究日本人的审美意识。正如桑田中亲说的:“茶道已从单纯的趣味、娱乐,前进成为表现日本人日常生活文化的规范和理想。” 而作为茶道灵魂的茶道精神内涵,不仅极具教育价值,其美学价值亦不可忽视,可以说茶道精神中所蕴含的审美意识是日本人审美意识的一个缩影。而审美意识作为一个国家精神文化的重要组成部分,是一个国家历史和自然的映照,对一个国家的各个方面都具有极大的影响力,值得我们研究。 1.茶道的起源 奈良、平安时期,日本接受、输入中国的茶文化,开始了本国茶文化的发展。饮茶首先在宫廷贵族、僧侣和上层社会中传播并流行,也开始种茶、制茶、在饮茶方法上则仿效唐代的煎茶法。 镰仓时代(公元1192—1333年)初期,处于历史转折点的划时代人物荣西撰写了日本第一部茶书——《吃茶养身记》。由于此书的问世,日本的饮茶文化不断普及扩大,导致三百年后日本茶道的成立。荣西既是日本的禅宗之祖,也是日本的“茶祖”。自荣西渡宋回国再次输入中国茶、茶具和点茶法,茶又风靡了僧界、贵族、武士阶级而及于平民。茶园不断扩充,名产地不断增加。 室町时代(公元1333—1573,受宋元点茶道的影响,模仿宋朝的“斗茶”,出现具有游艺性的斗茶热潮。特别是在室町时代前期,豪华的“斗茶”成为日本茶文化的主流。但是,与宋代文人们高雅的斗茶不同,日本斗茶的主角是武士阶层,斗茶是扩大交际、炫耀从中国进口货物、大吃大喝的聚会。接着在东山时代,以东山文化为中心形成了室町书院茶文化,书院茶是在书院式建筑里进行、主客都跪坐,主人在客人前庄重地为客人点茶的茶会。书院茶将外来的中国文化与日本文化结合在一起,在日本茶道史上占有重要的地位。由娱乐型的斗茶会发展为宗教性的茶道,是在东山时代初步形成的。 日本茶道的鼻祖村田珠光他将禅宗思想引入茶道,形成了独特的草庵茶风。珠光通过禅的思想,把茶道由一种饮茶娱乐形式提高为一种艺术、一种哲学、一种宗教。珠光完成了茶与禅、民间茶与贵族茶的结合,为日本茶文化注入了内核、夯实了基础、完善了形式,从而将日本茶文化真正上升到了“道”的地位。日本茶道宗师武野绍鸥(1502—1555年)承先启后。他将日本的歌道理论中表现日本民族特有的素淡、纯净、典雅的思想导入茶道,对珠光的茶道进行了补充和完善,为日本茶道的进一步民族化、正规化作出了巨大贡献。 安土、桃山时代 室町幕府解体,武士集团之间展开了激烈的争夺战,日本进入战国时代,群雄中最强一派为织田信长—丰臣秀吉—德川家康系统。正二年(1574年)作了织田信长的茶道侍从,后来又成了丰臣秀吉的茶道侍从。他在继承村田珠光、武野绍鸥的基础上,使草庵茶更深化了一步,并使茶道摆脱了物质因素的束缚,还原到了淡泊寻常的本来面目上。利休是日本茶道的集大成者,是一位伟大的茶道艺术家,他对日本文化艺术的影响是无可比拟的。

《挪威的森林》与日本传统审美观解析

目录 引言 (1) 一、四季自然之美 (1) 二、孤独幽怨之美 (3) (一)物哀之美 (3) (二)情之幽怨 (8) 三、纤柔细腻之美 (7) (一)女性形象的纤细小巧 (7) (二)日常生活的精雕细刻 (8) 结论 (10) 参考文献 (11)

《挪威的森林》与日本传统审美观 摘要日本著名小说家村上春树的代表作《挪威的森林》,以现实主义手法描绘了后工业社会喧嚣都市中青年们的生活,揭示了他们孤独、虚无与失落的内心世界。小说风格虽然受到西方文化的影响,但其中蕴含的四季自然之美、孤独幽怨之美、纤柔细腻之美,却鲜明地体现日本人传统的审美观念,并对当代日本人的身心产生了疗伤的作用,让以孤独、无奈为主旋律的现代都市人在阅读中享受审美的愉悦。 关键词挪威的森林日本审美传统 "Norwegian Wood" and Japanese traditional esthetic sense standard Abstract The masterpiece “Norwegian Wood” w ritten by Japanese novelist Harukin Murakami, painted a realistic picture of the post-industrial society, and unveiled the innermost feelings of the youth living in the noisy metropolis, such as loneliness, nothingness, and loss. The novel pregnant with the beauty of seasons, woe, and delicacy represents the Japanese traditional aesthetic standard, even though readers are able to smell the western style from the masterpiece. Meanwhile it serves as a psychologist to heal the hearts of the contemporary Japanese, gives them the pleasure of reading rather than the loneliness, helplessness. Key words Norwegian Wood Japan Aesthetic Traditional

日本古代文学的审美理念

日本古代文学的审美理念 日本书面文学的历史,至少可以追溯到八世纪。在漫长的文学发展历史中,其显著的特征之一便是全体的统一性,或者说历史的一贯性①。具体而言,文学形式和文学审美理念不是以旧换新,而是旧中补新,持续发展。比如,短歌作为抒情诗的主要文学形式有超强的生命力,从八世纪的31音的短歌,到十七世纪以后俳句这一新的形式加以补充,二十世纪以来则常用长自由体诗型,直至今日短歌依然是日本抒情诗的主要形式之一。文学理念方面,上古时代的真实以其朴素性成为日本古代文学的根本精神,进而演变为平安摄关时期的物哀、到古代后期,融入中世的幽玄、空寂和闲寂、近世的风流(日语写作粋),成为日本不易的美学思想。明治以后直至近代,歌人依然重哀能作者求幽玄茶人尊闲寂艺人倾粋。这些美的理念不是随着时代的终结而消失,而是被新的时代所吸收,与新思想并存,成为日本美学发展史的河床。 日本文化精神从萌芽初期,首先表现出以原始万物有灵的神道思想为根基的真实的朦胧意识。所谓真实,既具有如实呈现的、写实的实,又蕴含着道德的、感情的真,是朴素的真实,原始的纯情,如童心般的境地。真实思想最早在上古无文字记载时期的言灵信仰上反映出来,从咒语、歌谣、祝词、古代神话传说这些原始的文学形式,围绕生与死的主题,表现了人的最初生活意识和最原始的愿望,再经过八世纪《古事记》《日本书纪》和最早和歌总集《万叶集》等作品的洗练,逐渐形成了真实的理念。这种重视真心和真诚的真实流贯于日本文学始终,成为日本美学思想的根底。 平安时期开始在真实意识中萌发哀的理念,逐渐演进为情趣化的物哀美学思想。记纪所记载的神话、歌谣所表达的对国家、民族、集团性质的真实感动,是对自然、神灵的共同感动而产生的哀,不是单纯个人的情趣,至《万叶集》后期,逐渐开始产生抒发个人情感,反映朴素的真情实意。平安时代的日记、随笔以反省自己为动因,表现自然的内观世界。紫式部以真实作为根底,深化了主体感情,创作的《源氏物语》被视作物哀文学的先驱,更新了上代的美学精神。这种物哀是心物相接受到感动后的喜怒哀乐诸相,是形式和内容浑然一体的调和,涵有现实的理想化,成为当时美学理念的主流,又超出文学领域,影响到古代日本人的精神和行为规范。如日本人对大自然的钟爱如日本文学纤细、优雅的文风。平安时代中期,源于真实的物哀美学思想的完成,代表了纯粹的日本本土精神,确立了日本文学的美的价值。 时至日本中世的镰仓时代,物哀融入了当时兴盛的禅宗的重悟性好闲寂的精神,当将带有神秘色彩的悟融为富有情趣的艺术来进行象征性表现时,便形成了这个时期美学的最高理念幽玄。幽玄一词源于中国唐代骆宾王的委性命兮幽玄,其后包括佛法在内的一些文献典籍也用此词,以示幽微、玄妙之意。传到日本后内涵与外延都发生了改变,日本最早见于平安时代《古今集》真名序中的歌学用语,当初被用作超俗神秘之意,以示和歌之风韵、雅趣。到了中世,被尊为新古今时代歌坛领袖的藤原俊成,起初把它当作超越姿-词的余情美,在此基础上,以藤原定家的和歌、心敬的连歌、世阿弥的能乐美学论为中心,各个不同时期的代表性文论家又分别提出了自己的观点和主张,构建了中世的美学体系。幽玄开始成为日本文学精神后,它的内容有静寂-妖艳-优艳-平淡的变迁,与素材的写实相比,更重视抽象本质的把握和情调的折射,形式上重言外之意的余情、余韵,如同绘画中的生动气韵。和文学方面,和歌中所现的平淡与清新,军事物语中人生的虚无与哀怨,能乐中的情趣与幽邃,随笔中的平易与寂寥,都体现了佛禅的幽深、玄妙。这种余韵-余情-气韵生动是日本文学精神的重要方面,并渗透到日本文化、生活的各个方面。如日本三弦音色单纯,但余韵悠长;舞姿舒缓简素,但富有张力,不乏流畅美。尤其是茶道,努力在狭小的茶室里,努力创造出一种枯淡、幽寂的氛围,使茶人充分享受‘无即是有,一即是多’的余情与幽韵②,典型地体现了禅的精神与趣旨。幽玄扎根于物哀和佛教的无常观的土壤上,并与余情等因素逐渐融

从有关鱼的谚语看日本人的国民性格

龙源期刊网 https://www.wendangku.net/doc/e210266819.html, 从有关鱼的谚语看日本人的国民性格 作者:崔丽霞 来源:《青年文学家》2011年第13期 摘要:语言是文化的基石,反映了一个民族的文化。其中,谚语是由一个民族长期的的 生活经验发展形成的智慧的结晶。而日本,四面环海,海产丰富,日本人对鱼有着特殊的感情,所以有很多跟鱼有关的谚语。谚语作为一个民族的精神状态的参照物,可以从某个侧面窥探到这个民族的国民性格。本论文通过独特的有关于鱼的谚语来分析日本民族的国民性格。在加深对日本人以及日本文化的理解方面极具研究意义。 关键词:鱼谚语国民性格日本人 1、序论 语言和文化相互依存相互影响。语言在人类活动中发挥着重要的作用,是人类社会不可缺少的一部分。谚语是人类长期生活经验的积累,被人们口口相传下来的简洁易懂的语言。谚语仅仅是语言中的一个侧面,通过对谚语的研究,可以从某个侧面看出这个民族的自然环境、独特的风土人情以及宗教信仰。 众所周知,汉语和日语中都有很多谚语,而且各有特色。其中,跟汉语的谚语不同,日语中有很多跟鱼相关的谚语。日本四面环海,海产丰富,这个跟日本的地理环境有很大的关系。一定程度上反映了日本民族的思考方式,价值观等国民性格的特点。本论文从语言文化学的角度,通过整理跟鱼相关的谚语来探求日本人的国民性格的特点。 2、有关鱼的谚语的来源以及分类 这一部分主要从词源,形式两个方面来分析跟鱼有关的谚语。 2.1 词源 从文化发展的角度来看,可以说日本文化是通过选择吸收外来文化,并且发掘本国的优秀文化形成的一个集合体。日语的谚语也不例外,既有从中国传来的谚语,也有从西洋传来的谚语。 2.1.1 中国由来的谚语

日本传统纹样

Copyright 2010 Japanese Translation Consultants 1 日本の伝統文様 Catalog of Traditional Patterns Graphic# 01-009 日本語翻訳コンサルタントでは、日本伝統?現代文様コレクションを無料で多数とりそろえております。ウェブサイトやグラフィックス、またメニュー、パンフレット、パッケージなどを作成するのにそれらを使用いたします。文様パターンはPSD データ形式も あり、カスタマイズ可能です。 Japanese Translation Consultants has a large collection of royalty free traditional to modern Japanese print designs. We can use them for creating great graphics for your website or other materials such as menus, pamphlets, packaging, etc. The patterns are highly customizable in the PSD format.

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浅析日本建筑特点及其审美观(1)

浅析日本建筑特点及其审 美观 院校:三门峡职业技术学院 班级:08商务日语(1)班 姓名:马亚利 学号:0807250108 辅导老师:范云霞

浅析日本建筑特点及其审美观 摘要:日本文化飘自中国,在长期的对外文化交流中,逐渐形成了风格多元, 内涵丰富和自然主义的审美特色。日本有着与众不同的强烈的传统文化,有着固有的独特的固有的建筑观,在建筑的设计上表现为重抽象、简练和强调工艺精美等特点。该文通过对日本传统设计中具代表性的茶庭和民居等建筑形式,从艺术哲学,美学和社会等多角度探讨了日本传统设计的独特手法和审美情趣。 关键词:日本美学,神社建筑与庭院,茶庭与茶屋,枯山水,町家住宅,禅宗,泡泡筑 自古以来每个国家,每个民族都有各自的审美意识。人们爱美,追求美,关于什么是美,美的本质是什么这个话题,人们各抒己见争论不休。审美意识与地域民族性和宗教文化的关系,不仅是史学家关注的热点,更是艺术家在艺术实践中不可回避的问题。接下来,我就结合日本传统建筑的特点,来分析一下日本这个民族人民的审美观。 在当今的世界建筑舞台审美情趣上活跃着一批日本设计师,他们扮演着举足轻重的角色,并在世界范围内掀起一股东方热。其之所以能得到国际范围上的广泛关注和认可,正是因为在他们的作品中始终体现出来的本土民族精神和审美风格。 在世界建筑发展大潮中,日本建筑无疑是令人瞩目的。作为经济、文化、科技三者结合发展而成的产物,日本当代建筑创造了建筑史上划时代的作品。但是却很少能看到像中国传统建筑那样华丽的雕刻与装饰,只是保留了材料的本来质地,没有粉刷纹饰,错落搭配而体现出材料本身的自然美。直至现代,日本的建筑物中仍保留了草木材料的风格。日本的当代文学、美术、音乐似乎还没有日本当代建筑这样高的成就。中国建筑界一直关注日本建筑界的动向,也取得了不少研究成果。 日本是一个善于学习和模仿的民族,在漫长的历史发展中,日本不断从中国、朝鲜等民族引入优秀民族文化,藉以丰富自己的民族文化。但这种模仿并不是简单的照搬和移植,在每一次文化交流中,日本文化自身的独特之处在与外来文化的交融中发展出新的特色。现代设计所追求的简洁在日本的绘画设计中有着明显的反映。 从总体上看出日本艺术以柔和、内敛为主,重精神气质的表达,其特点表现在一下几个方面: ①遵循自然手法,以抽象表达具体——不重感性重悟性。 ②以简约的形式和浓郁的意象表达丰富情感——不重形式重精神。 ③追求不对称布局。 ④设计一技艺完美为一切艺术的基础,甚至将技艺本身也视为一种美。 本文即以神社、庭院建筑、茶庭、枯山水、町家住宅和透视自然美的泡泡筑为例,分析日本传统建筑的特点及其日本人的审美意识。

中国传统色彩样本与描述

原文 xx女附注及色样添加: Quester 原先见过一个比较日本感的色彩图典,于是我也想作个中国色彩图典。现在粗略整理了一些,以后慢慢补充好了,要是有谬误差错的地方还请高人指正。这是平时从绘画书籍,古典文学作品以及金山词霸中搜集而来的。 国画用色 ████xx: 呈暗粉色。 ████胭脂: 色暗红。用红蓝花、茜草、紫梗三种植物制成的颜料,年代久则有褪色的现象。 ████xx: 色朱红。用以画花卉、禽鸟羽毛。(quester注: 黄色成分微高于红色成分,色艳丽,需注意与背景色调和,多数情况下不大面积使用。) ████xx膘: 色橘红。明度比朱砂高,彩度比朱砂低。用以画花卉。 ████赭石: 色红褐。用以画山石、树干、老枝叶。 ████xx: 色青,依深浅分为-头青、二青、三青。用以画叶或山石。

依深浅分为-头绿、二绿、三绿。用以画山石、树干、叶、点苔等。 ████白粉: 亦称胡粉,色白,有蛤粉和铅粉两种。用以画白花、鸟,或调配其他颜料使用。 ████xx: 色藏青。用以画枝叶、山石、水波等。用蓼蓝或大蓝的叶子制成蓝靛,再提炼出来的青色颜料,蓝绿色或藏蓝色。用途相当广,可调藤黄成草绿或嫩绿色。广花,颜料。即广东产的花青。(quester注: 微含红色成分,故与黄色调和后生成的绿色较为沉着) ████xx: 色明黄。用以画花卉、枝叶。xx: 明黄色。南方热带林中的海藤树,常绿乔木,茎高达二十米,从其树皮凿孔,流出黄色树脂,以竹筒承接,干透可作国画颜料。(quester注: 亦含微量红色成分,有毒。和黑色配合时甚为醒目,多为危险警示色彩) ████赭石色: 暗棕色矿物,用做颜料 ████雌黄: 矿物名。成分是三硫化二砷(As2S3)橙黄色,半透明,可用来制颜料。古人用雌黄来涂改文字,因此称乱改文字、乱发议论为“妄下雌黄”,称不顾事实、随口乱说为“信口雌黄”。 ████雄黄: 中药名。为含硫化砷的矿石。别名石黄、黄石。

日本国民性的几点特征

日本国民性的几点特征 南开大学日本研究院李卓 [摘要]国民性是指一个国家或民族比较普遍的、 居于主导地位的心态、倾向、潜意识。日本的历史 发展过程及文化风土,造就了日本人实用主义、集 团主义及注重等级秩序的国民性特征,从而构成 日本人与日本社会的复杂而矛盾的性格。深刻认 识日本的国民性,对于正确处理两国之间的关系 与增进两国民众的了解很有必要。 [关键词]国民性实用主义集团主义等级秩序 国民性是指在一个国家或民族的范国内比较普 遍的、甚至是居于主导地位的心态、倾向、潜意识。构 成国民性主要特征的,是规定人们行为方式的价值取 向和道德规范,它以潜移默化的形式影响和制约着一 个国家或民族的社会发展。深刻认识日本的国民性, 对于正确处理两国之间的关系与增进两国民众的了 解很有必要。 l实用主义 长期以来,。中日同文同种”的观点对中国人影响 甚大,日本是“儒教国家”的提法也成为评价日本的主 流话语,其结果是导致人们往往不能正确认识中日两 国的文化差异。日本作为中国的近邻,在国家形成及 后来发展、繁荣的过程中曾深受中国文化的影响,这 是不争的事实。但是,如果对日本的社会与文化进行 探人考察,就会发现日本人是一个很注重现实利益的 民族,甚至具有明显的实用主义色彩,这种实用主义 使日本人在吸收外来文化中表现为取自己所需。有 些中国文化、制度一度传到了日本,而后来销声匿迹 了,如中央集权制度,科举考试制度;也有一些东西从 一开始就被拒之门外,如人们熟知的“唐时不取太监, 宋时不取缠足,明时不取八股,清时不取鸦片”。除此 之外,在人伦、制度的很多方面与儒家伦理格格不入。oooo 比如,同姓不婚的制度作为中国文明的重要因素传到了朝鲜半岛,却最终投有渡过海峡传到日本。日本人在8世纪初期制定律令的时候,许多内容都是对中国相关法律条文的照搬照抄,却对“十恶”中属于近亲相奸、紊乱人伦的“内乱”罪弃之不取。究其原因,是因为当时日本社会内近亲结婚是普遍的现象,皇室与王朝贵族尤为典型。连参与制定律令的重要人物藤原不比等也是与同父异母妹结婚。可见同姓不婚的法律根本不符合当时日本的风俗。 再如,“异姓不葬”这一在中国至关重要的人伦规范在日本能够得到轻易变通。异姓的养子女婿在改变了姓氏之后,就可以进入家庭,继承家业,而是否具有血缘关系并不重要。反之,如果没有继承和管理家业的能力及良好的资质,即使是亲生儿子也可能被剥夺家业继承权。据日本学者考证,从江户时代末期到明治时期,日本男子的四分之一是养子,且主要是异姓的女婿』?]这就是所谓“暖帘重于家业”,十足体现出日本人的实用主义原则。日本人重家业而轻血缘的态度打破了家族血缘关系的封闭性,使人们可以在关键的时候,依据品德和才能标准选择家业继承人,这种态度不仅维护了家业和家族企业的延续,使日本随处可见拥有百年以上、甚或数百年历史的企业或店铺,也促进了经济的发展与社会的进步。 又如,日本人为了家族的整体利益,连自然的、血缘的辈分秩序也可以进行调整。辈分是在中国家族内部用以区别长幼、规范血缘秩序的等级制度,辈分秩序不仅深深潜在于人们的意识中,也显现在人的姓名中。而对于注重纵式家族秩序的日本人来说,“代”是按家业继承情况而划定的,即使出生就决定了的人伦关系——祖孙、父子、兄弟,也可以因家业继承的需要而改变之。因此,在日本历史上,常常有弟弟当哥哥的养子,孙子当爷爷的养子这样的。差了辈”的现象。在这些现象背后,反映出人们对现实利益的追 7l

浅谈日本人的语言行为及其审美意识

2006年第2期(总第96期)贵州民族学院学报(哲学社会科学版) Journal of Guizhou University for Ethnic M inorities (Phil os ophy and s ocial science )No .2Ap r .2006 贵州民族学院学报2006?2  浅谈日本人的语言行为及其审美意识 ●张海川 (贵州大学外国语学院,贵州贵阳 550025) 摘 要:本文介绍了日本人的语言行为的四种特征,同时介绍了伴随这种语言行为特征的审美意识,探讨了产 生这些语言行为特征、审美意识的地域环境因素与历史文化背景。 关键词:日本人;语言行为;审美意识;和谐之美 中图分类号:H36 文献标识码:A 文章编号:1003-6644(2006)02-0046-02 语言是社会中约定俗成的产物。任何一种语言的产生 和变化都与其民族和国家的自然地理,社会文化,风土人情有密切的关系。同时语言和文化又是相互依存,相互影响的,不同的语言直接反映出不同的文化。所以要学习一种语言,必须了解并使用这种语言。对一种语言的学习和研究,脱离开其语言的文化背景,是很难把握其精髓的。日本人语言生活中所见到的诸多独特的语言现象,都与日本的历史文化、风俗习惯有紧密的联系。客观存在反映出日本人独特的语言心理、思维方式以及审美意识。基于以上观点,本文拟就日本人的语言行为与审美意识作一粗浅的探讨。 一、言谈中的随声附和 日本人之间谈话时,都习惯相互随声附和,点头称是。也就是说,在日本人会话中,在随声附和的同时,还伴随着点头哈腰等非语言行为。非语言行为的频繁使用是日本人交流方式的特点,甚至于在打电话时也不由地点头哈腰。这种场面常常令外国人感到不可思议。 随声附和在日本人的会话中是不可缺少的,它是使会话圆满进行的润滑油。日本人在会话时,如果听话人保持沉默,不随声附和,说话人就会以为对方没有认真听自己讲话,或是没有听懂自己所说的话,为此而感到心里不安。因此听话人要及时恰到好处地随声附和几句,以表明自己在洗耳恭听,同时也表示出自己参与会话的积极性,使说话人的谈话能继续下去。这种共同参与积极配合的语言心理和行为是日本人追求和睦的人际关系,增添和谐气氛所特有心理和行为方式,也就是说,是“和”的思想理念造成的一种自发性的合作意识。 另外日本人随声附和,还特别恰到好处。一般来说,随声附和是在说话人说完一句话后,征求听话人同意或确认时,听话人要迅速及时地附和。过早或过晚,都不利于会话的顺利进行。过早,会使人误认为不愿意听人家说话;过晚,又会给人一种漫不经心,轻视对方的印象。两者都会使 对方扫兴,有时甚至影响到和睦的人际关系。如何恰到好处地随声附和,使双方产生共鸣,这也许正是日本人所追求的一种和谐之美。 二、寡言少语的美德 如前所述,日本人之间谈话时,习惯相互自然地随声附和。然而,日本又是一个喜欢沉默、不善言谈的民族。据调查,日本人大多数认为沉默是美德,尤其是对男子来说,冷峻是最为理想的形象。难怪日本电影名星高仓健倍受日本人的欢迎。 日本人喜欢沉默,并视之为一种美德,是因为日本是一个四面环海,版图不大的岛国,这种地理条件使得日本民族在形成过程中,要做到保持各个集团和整个社会结构的内部秩序,抑制自我主张,减少内耗,确保社会秩序的稳定性。具体地说,就是要以和为贵,少说为佳,相互谦让,避免冲突。只有这样才能有国家的安泰,个人的安稳生活。因而将沉默作为美德,视之为一种理想的处世哲学。因为言多必失,会伤和气,而任何人又都不想破坏人与人之间的和睦关系以及集团内部的和谐气氛,不愿意惹事生非,被看成为“多嘴乌鸦”、“多事婆”。于是日本人遇事往往采取沉默寡言的态度,而这样做又反而会被认为是个颇具城府、高深莫测的人。尤其是在日本政界,更会显示出一种“大智若愚”的风度。明治大正时期有位叫岛田三郎的政治家,他思维敏捷,口齿伶俐,以在帝国会议上善于雄辩而闻名于世,被人起了个绰号叫为“岛田大谝子”。据说他之所以未能在政界大有作为,就是因为他在国会上的演说太精彩的缘故。相反,像西乡隆盛等日本历史上的著名人物都因其深沉寡言而受到日本人的仰慕。 另一方面,日本人喜欢沉默寡言,是受古代日本人信仰的影响。古代日本人认为,语言具有一种神秘的,超人的力量,一旦说了,就会应验;内心的祈祷本身也有应验能力,不必说出口。这种思想一直残留于现代日本人的思想意识 64①收稿日期:2006-01-08 作者简介:张海川(1965-),男,贵州大学外国语学院教师。

川端康成 日本传统美学特征

川端康成(1899-1972)是日本历史上第一位获得诺贝尔文学奖的作家,也是日本近现代文学史上出现的重要作家。他一生共创作了120多篇小小说,近百篇短篇小说,以及二三十部中,长篇小说。其中《伊豆的舞女》《雪国》《山音》《千鹤》《古都》《睡美人》等都是他的代表作品。他曾经是日本现代文坛革新运动中的“新感觉派”的一员,他的创作明显地受到欧洲近代现实主义的影响,但其作品也明显地显示出他重视的立足于日本的古典文学,维护并继承纯粹的日本传统文学模式的倾向。川端康成曾经在西化和日本传统之间几经徘徊,走过了一条漫长而曲折的创作之路。也是在多年的探索之中,逐渐确立了其立足于东方和日本的传统的文学理念。追求所谓物哀,幽玄和寂静等相融和相通的境界,以求表达民族心理深层的古朴典雅和自然返真等气质。研读他的作品,可以清晰的看到“物哀”“幽玄”“风雅”的日本传统美学精神深深的积淀于其中。 一物哀的文学精神 “物哀”是在日本太古文化中的“诚”的美学观念上受到佛教影响而发展出的一种独特的美学理念。佛教传入之前,日本文化正处在很不发达的太古文化之中,佛教端丽的佛像,微妙的音乐,富于比喻和幻想的佛经故事和超乎实用的美的世界都让日本人深深着迷。佛教给人灌注了人生虚幻感和追求极乐世界之情,同时日本中世之初的社会动荡以及空虚感都加深了日本人心中的无常观和厌世感。乐观而现实的“诚”的美学观念受到冲击,随之而起的是渗透着浓重的佛教悲观意识的“哀”的精神。平安时代的《源氏物语》是日本中古时期最为重要的文学作品,其作者紫式部深受佛教思想的影响,时时用“菩提即烦恼”来勾勒任务,安排其命运。“哀怜”一词在《源氏物语》中,出现达一千余次。可以说紫式部的创作促成了日本“物哀”的审美意识最终形成。自那以后,“物哀”的精神便成为了日本文学传统美学的特征之一。“物”是客观事物,而“哀”是主观情感。在人的种种感情中,只有苦闷,忧愁,悲哀,即一切不能如意的事,才是使人感受最深的。由客观事物引发人们的感动,哀怜等主观的内省是“物哀”的主要表现。《源氏物语》是川端康成最爱的文学作品之一,而这种对人生不如意的哀感同样也影响了川端康成的文学创作。平安朝的风雅,物哀成为日本美的源流。 川端的作品的“物哀”精神包含着悲哀和同情的色彩,作家往往将这样一种精神的表达与作品中人物的塑造结合起来。他的作品往往以女性和小人物为主人公,如《伊豆的舞女》中的小舞女薰子和大学预科生,《雪国》中的艺妓驹子和叶子,《古都》中的孪生姐妹苗子和千重子,等等。川端康成笔下的这些女性往往有着清纯的心灵和柔和温润的性格,这些人物的任性是美好的,但其人生的机遇却让人同情。因此,在感人的美的形象中蕴含着难言的哀伤和怜悯,这是川端康成文学留给读者的深刻印象。另一方面,在塑造人物时,作家非常注重对其心理的展现。研读作家的作品会发现,川端小说的心理刻画很少有快乐的喜剧式描绘,而大都是萦绕着悲凉与惆怅。孤儿沉湎于身世不幸的痛苦,老人叹息时间的流逝,女子感慨爱情的难测,即使是平常人在日常的生活中也往往有着寂寥的心事。作家以精致的笔触细腻的挖掘着人物内心细微的情感变化,将读者引入了人物的内心深处,让读者体会人物的悲哀,和他们一起感伤。 二幽玄的审美趣味 佛教给日本文化灌输了人生虚幻,轮回转世的悲观意识,而从唐代开始传入日本的禅宗再次对日本文化产生了质的影响。禅宗将大千世界视作无常变化中的幻想,认为万物真正的本性是“空”,轮回的无常才是世界的永恒性。因此禅悟就是以直觉感悟的形式来体验世界的本质。禅宗的这种生死一如,本性是佛,无念为宗,顿悟成佛的理念进一步渗透在了日本人得审美意识中,形成了充满禅悟色彩的幽玄的美学特征。日本的评论家曾经指出,“幽玄就是

解剖日本国民性

亲戚?友邦?世仇?——解剖日本国民性(合集版,原创,长帖) 俺断断续续写过一个系列帖子来解剖日本的国民性,蒙某论坛斑竹邀请,这次把它们整理一下。 在很多研究日本国民性的文章中,往往偏重于残忍或者朴实,设计的精巧或者思想的僵硬,在某些所谓“真正的亲日派”和“知日派”的文章中,也没能把菊与刀的矛盾根源解释清楚,那么,俺就来试试。 1.地理因素 俺们常说,性格决定命运,实际上,地理将决定性格。 日本处于地震高发区,正好俺是唐山人,可能在地震多发区居住的人才会体会那种随时可能over的感觉。由于这种与生俱来的紧迫感,所以只要想作的事情,就要抓紧做完。日本人往往会显得很急躁,无太长远的规划,缺乏战略构想,这在第二次世界大战中表现的很明显。同样,韩国人也往往如此,这与韩国的常年战乱和战争危机感有关,原因其实是一样的。 日本的地域狭长,回旋余地很小(和中国正好相反),如果发生战乱,不能象中国老百姓那样跑来跑去,更不能躲进深山老林修道成仙,只能硬拼或者归顺,没有中间道路可选。这就意味着日本人只能崇拜强权,或老实的做顺民,或死拼到底,他们崇拜的是这两种极端。 在其国内战争时,哪个大名胳膊粗力气大,就活该人家“挟天皇以令诸侯”,而战败者只能自杀或者归顺,反正很少能再获得“道义”上的支持。 这也可以解释日本人对中国人的厌恶感之一:很多地区“投降”的挺快,却不安心做“顺民”,不承认“皇军”的“占领”地位,打又不正式的打,却总是“骚扰”“皇军”,良民大大的不是!而对于中国军人苦战至死者多尊敬有加。因为这就是日本的道德观,日本人尊重两极,而藐视中间,两极皆善,唯中间恶。 日本是一个岛国,那就意味着四面受敌,而日本的国土形状很狭长,只要南北两端受到牵制,不能相顾,必然全国震动。由于没有战略纵深,所以只要敌人能登陆,并建立桥头堡,军心必溃。日本人明白这点,所以力图御敌于海上,只要海上失利,只能投降。 常有人把日本和另一个大岛国英国相比,值得注意的是,它们面对的大陆区别很大。东

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