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中日の酒文化についての探究

中日の酒文化についての探究
中日の酒文化についての探究

中文提要

酒文化无论在哪个国家的风俗中都占有非常重要和特殊的地位。中日两国是一衣带水的邻邦,同属东方民族。两国从古代就开始了交流,日本从中国学习技术的同时也吸收了中国的文化,在各方面有相似的生活方式以及文化。其中酒文化也出自同一渊源,中国的传统文化、农业文明和曲酒酿造技术传到日本,促进了日本文化及酒业的发展。中日两国的酒文化历史、酒俗、饮酒态度和酒德酒礼都大同小异,各有所长,各有所短。中日两国人民相互交流,相互学习和借鉴,在差别中寻求融合,在融合中保存差别,共同创建适合于本国国情和世界酒文化发展方向的新型酒文化。本文以中日两国的酒文化为研究对象,进行展开论述,本文首先从世界酒的起源,中日两国酒文化的起源,发展,特征等方面详细说明,接着从中日两国酒文化的多个方面,例如酒的种类,喝法的差异,饮酒礼仪等方面,对中日两国的酒文化进行详细的分析,最后通过对两国酒文化的比较,总结出两国酒文化的差异。

关键词:中日酒文化交流发展

外文提要

酒文化はどのような国の習慣においても重要な地位を占める。両国の距離が近く,一衣带水の国である。両国は古代からさまざまな交流がはじまり、日本は中国からの技術を勉強するとともに、中国の文化を吸収し、各方面に似ている生活方式と文化がある。その中の酒文化が同じ根源であり、中国の伝統的な文化、農業文明および醸造技術は日本につたわり、日本文化と酒造の発展を促進した。中日の酒文化史、飲酒の習俗、酒に対する態度と飲酒の礼儀作法は大同小異であり、それぞれの長所と短所がある。中日の国民はお互いに交流し、勉強し、差異の中に共通処を見つけ出しながら、自分の特色を保つ。共同で自国文化と世界酒文化の発展に適する新型酒文化を創ろうとしている。本稿は中日酒文化を研究対象にして検討し、先ずは世界酒の起原と中日の酒文化の起原、発展、特徴などから説明する。それで、中日酒文化の各方面から、たとえば、酒の種類とか飲む方法の異同とか礼儀などの方面から中日酒文化を詳しく分析する。最後に両国酒文化の比較することを通じて両国の酒文化を総括する。

キーワード:中日酒文化差異交流発展

目次

はじめに (1)

第1章酒の始まりと歴史と発展過程 (3)

1酒の始まり (3)

2中国の酒の歴史と発展過程 (2)

3日本の酒の歴史と発展過程 (3)

第2章中日酒文化の共同点 (5)

第3章中日酒文化の違う点 (5)

1酒の種類について (5)

2飲み方と飲む礼儀について (6)

2.1乾杯の意味 (6)

2.2「絶対ぜったいに酔すいっ払ぱらってはならない」というタブー (6)

2.3「宴会でまじめな話をしてはならない」というタブー (7)

2.4 酒を勧める時の習慣 (9)

3 祭りについて (9)

4 婚俗こんぞくについて (9)

5 ほかにのついて (10)

6 結論 (10)

おわりに (11)

注 (12)

参考文献 (13)

はじめに

日本にほんは,中国ちゅうごくの近ちかくに位置いちしている。両国りょうこくは古代こだいから交流こうりゅうしてきた。日本にほんは中国ちゅうごくから技術ぎじゅつを習ならうのと同時どうじに、中国の文化もならってきた。それが故ゆえ、各方面で,類似的るいじてきな生活様式や文化を持っている。中国も日本も酒の国と称されている。酒文化は悠久な歴史を持つている#中国には「日に一杯の酒を飲めば、99歲まで生きられる」という諺もある。長年来、日本をよく理解するために、いろいろな面から研究した文章が発表されている。例えば、彭広陸氏の『日本料理名の比較』、潘鈞氏の『日本人の漢字観の変化』などの文章がある。本稿ほんこうでは、酒文化さけぶんかの面から日本を研究する試みをした。日本は自分の民族性があるので、自分の文化をもっている。それが故、各方面で類似的な生活様式や文化を持つているが、その反面、乾杯と酔つ払いに対しての見方や、宴会などでのまじめな話しについての観念の面では大きな相違点も見受けられる。中日酒文化の共通点や違う点を研究して、日本社会をよく理解することに役立ちたい。。

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第1章酒の始まりと歴史と発展過程

1 酒の始まり

12億年前というはるかな昔この地球に、酒を造る酵母菌こうぼきんの先祖があらわれたのに続いてほぼ20万年前、人間(ホモサピエンス)が出現したが、その頃には、酵母はすでに大きな進化をとげ、糖とうを発酵はっこうして?ルコールを造る機能をもつようになったと思われる。その酵母が、地上に落ち、果物を自然に繁殖はんしょくさせ、果物を発酵させた。

その後、人類は作物を栽培さいばいし収穫しゅうかくすることをおぼえ、その貴重きちょうな食べ物と、目に見えない酵母を巧たくみにあやつって、酒をつくりあげた。もちろん、まだ酵母の存在さえしらず、その概念ももたなかった当時の人々は、この発酵という不可解な現象を、すべて「神のなせるわざ」だと考えたに違いない。

「古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。すぐれた文化のみが、人間の感覚を洗練し、美化し、豊富にすることができるからである」[1]といわれる通り、世界の民族は、独自の酒とその文化を育ててきた。それが民族間の交流によって各地へ伝播でんぱされ、時代とともに改良かいりょうされ、進歩してきた。たとえば、メソポタミ?で始まったワ?ンは、シュメール人、フェニキ?人、ギリシ?人、ローマ人の手をへて、穀物こくもつにはあまり適さないが果樹かじゅには良いという自然を背景にヨーロッパ全土に展開し、発展してきた。

2 中国の酒の歴史と発展過程

中国の酒造りの歴史は大変古く、2004年に、「今から9000年ほど前の賈湖遺跡で酒造りの痕跡を見つけた」という発見があり、世界を驚かせた。歴史時代では殷(商)の王(今から約3100年前)が宮廷に3000 人を収容できる「酒池肉林」を造つたという有名な逸話もある。秦の始皇帝、

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漢の武帝も造営した。

今から1800年前の『三国志』の時代には西域から葡萄酒が多く入つてきた。この時代では曹操の禁酒令、孫権の酒乱なと、酒の話題が大変になつた。

6世紀の北魏時代、現存する最古の料理害『斉民要術』が著され、さまざまなお酒の造り方が細かく残された。また、ニの頃には度数の高い酒も登場していたようで、「匂いを嗅ぐだけで何日も昏睡した』という話もある。8世紀の唐下朝の時代、多くのお酒に関する漢詩が詠まれた。中でも、西域の砂漠を舞台とする「边塞詩」ではお酒を情緒深く络ませている。11世紀頃の宋代になると、蒸留酒であるむ酒が多く造られるようになり、現在に至つている。

中国の蒸留酒の始まりについてはあまり分かつていない。現在では各都市で1万を超える地の白酒が造られるなと、中国人にとつて身近なお酒になつている。

今から100年ばと前、ド?ツが中国の山東半島へ進出した時、ここにビールとワ?ンの製造工場を造つた。このため、現在でも中国山東省ではビールとワ?ンの生産が盛んである,今日、中国を代表する高級白酒は五粮液である。

3 日本の酒の歴史と発展過程

日本の酒は土着の酒と、渡来人が伝えた酒の2種類が知られている。土着の酒については米を嚙んで吐き溜める[ロ嚙み酒]が知られ、「醸す」という読みは[喃む」が語源になつたという説がある,一方、渡来人が伝えた酒は現在の「甘酒」にあたる酒と考えられている。これは麹を原料とした醸造法で、大王の一族が朝鮮半島から技術者を連れてきたのが始まりという。

古代日本のお酒は朝廷の造酒司を中心に更なる開発.改良が進められており、平安時代中頃の10世紀には現在のような日本酒の醸造法が確立し

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ていた。

平安末期、朝廷が衰えると酒造りの技術は大阪,奈良なとの大寺院が受け縦ぎ、「僧坊酒」として名を博す。戦闲末期、津島にもゆかりのある織田信長はこれらの寺院に対して徹底的に弾炻を加えた。これにより僧坊酒の高度な技術は流出、分散し、各地で地酒が造られる下地になつた。

今から約600年前の1404年、長崎県に、朝鮮半島から?ルル度数の強い蒸留酒が送られてきた,これが日本で最初に確認できる焼酎である。その後、琉球からも泡盛の製法が伝来し、焼射は九州各地で造られるようになつた。今から6年前、焼酎は突如ブームとなり、多くの銘枘を見かけるようになつた。

豊臣秀吉は最晩年(1598年)、京都の醍醐寺で盛大な花見を催し、全国から銘酒も集めた。ただし、これらの銘酒は現在でははとんど残っていない。

江戸時代初期、それまで年5冋醸造していた日本酒造りを幕府が「年1回冬期のみ]の醸造に制限した。これは現在の酒造りにも继承されている。

明治以降(こなると、酒造業は製法も設備も近代化し、安定、安全に生産がで3るようになった。今から約400年前、醍醐寺に博多の練貫酒、大阪の天野酒、伊豆の江川酒、備後の三原酒なと、各地から銘酒が集められたという。

第2章中日酒文化の共同点

日本は,中国と非常に近い。両国は古代から交流してきた。また、儒学じゅがくの影響で、酒文化はいろいろな共同点を持っている。両国の人民は酒が大好きだ。酒についての文章もたくさんある。例えば、中国三国時代の曹操そうそうの『短歌行たんかぎょう』がある。日本の「万葉集」に書かれた山上憶良やまのうえのおくらの有名な「貧窮問答歌ひんきゅうもんどうか」の一節ひとふしに「堅塩けんしおをとりつづしろひ、糟湯酒かすゆざけうちすすろいて...」と、塩をさかなに酒糟を湯でといて飲む庶

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民の姿が歌われていて、当時すでに貴族たちは「もろみ」を絞った「澄酒(すみざけ)」を飲んでいたことが伺える。

酒が祭祀さいしに役に立つことは明瞭めいりょうである。両国とも酒で祭祀をする。酒は神と人間との掛け橋として、神かみに捧ささげる。

そのほか、両国では、料理を作る時、よく酒を使う。中国では黄酒を使い、日本では味醂みりんを使う。

第3章中日酒文化の違う点

中日の酒文化は共同点がたくさんある。しかし、あでやかな日本の風土とデリケートな日本人の感性とによって自分の酒文化が育てられ、発達してきた。

1酒の種類について

中国の酒は大きくいって白酒しろざけと老酒らおちゅうに分かれる。色で分類するのはいかにも即物的そくぶつてきだが、「白」は白色ではなく無色透明むしょくとうめいの意いで蒸留酒じょうりゅうしゅのことだ。有名なものには「マオタ?酒」(53度)をはじめ「五粮液ごかてえき」(60度)「汾酒ふんさけ」(50~60度)などがある。黄酒きざけは醸造酒じょうぞうしゅでコハク色から得た名前であろう。これは老酒とも言う。よく熟成じゅくせいしたという意味から来たものらしい。なかでも紹興酒しょうこうしゅ(13~18度ど)が有名ゆうめいだ。黄酒きざけは地域的には長江以南が多いようだ。日本の酒は大きくいって清酒と果酒はてざけに分かれる。日本は、高温多湿こうおんたしつで豊かな四季をもち、稲穂いなほがみのるので、米を原料とした清酒が生まれた。清酒の味は主に甘口あまくちと辛口からくちの二種類がある。中国は地域が広くて、民族が多いので、酒の味も多種である。

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2 飲み方と飲む礼儀について

中日の文化や思想が違うので、両国の飲み方や飲む礼儀も違う。中国の宴会には大きく言って三のタブーがある。

2.1 乾杯の意味

手酌てじゃくなどはご法度はっとだ。飲む場合には必ず誰かと乾杯をしなければならない。目と目を見交わせながら飲むのが中国流の宴会の基本である。中国人は必ず誰かを誘って一緒に飲む。例えば、十二人でテーブルを囲かこんだ場合ばあい、その日のホストが杯をあげて「さあ、皆さん、今日は本当によくいらっしゃいました。乾杯」とやる。中国人は文字通り杯を乾かしてしまう。だから一滴も残らないように全部乾かしてしまわなければならない。最も理想的なのは全員と乾杯するという方法だ。自分の右隣みぎどなりの人から一人ずつ乾杯して全員と酌くみ交かわすことだ。当然のことながら、全員が人数の回数だけ乾杯することになる。なるべく全員が同量の洒を飲むと言うのが中国流の宴会の重要な作法さほうだ。

ところが、日本人の乾杯は宴会の始まるときだけで、あとは皆自分勝手みなじぶんかってに飲むようだ。「乾杯」というと日本人は杯をあげて適量飲む。これは中国人がいうところの「乾杯]とは基本的に異なる。日本では「乾杯」とは言うが、必ずしも杯の酒を飲み千す意味ではない。[お好きなだけ」ということのようである。

2.2 「絶対ぜったいに酔すいっ払ぱらってはならない」というタブー

中国人ちゅうごくじんの宴会えんかいでは、とにかくありとあらゆる口実こうじつで酒さけを飲のまされる。しかし、どれだけ酒ざけを飲のまされても酔よった様子ようすを表おもてに出だしてはいけない。宴会えんかいが終わるまでシャンとしなければならない。すなわち、たとえ酒さけの場ばであっても絶対ぜったいに緊張きんちょうをくずさず、最後さいご

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まで崩くずれない人ひとこそが、中国ちゅうごくの社会しゃかいでは尊敬そんけいされるのだ。だから、うっかり気きを緩ゆるめて泥酔でいすいでもしようものなら二度にどと宴会えんかいに呼よばれないようになる。日本人にほんじんからすれば信じられないことかもしれないが、宴会えんかいの場ばに於おいて酔ようような人間にんげんは信頼出来しんらいできないと思おもわれる。日本人にほんじんの場合ばあいは、どうもこれと正反対せいはんたいのようだ。飲のんでも羽目はめを外はずさない人ひとは「腹はらを割わって話合はなしあってくれない」とか「つき合あいが悪い」「薄気味悪うすきみわるい」などという理由りゆうで評価ひょうかが下さがるようだ。そして醜態しゅうたいをさらした人間の方が何となく信頼出来ると評価される。

2.3 「宴会でまじめな話をしてはならない」というタブー

特に政治向きの話などはもってのほかだ。同じようなことは欧米のパーテ?ーでも言われるようだが、中国の場合とかなりニュ?ンスが違う。欧米の場合は思想信条が違う人がいると議論になってしまい、白しらけるから政治の話や宗教しゅうきょうの話はしない方が良いという意味らしい。だが中国の場合、もし政治批判の話が飛び出した場合、それを聞かれた方は窮地きゅうちに陥おちいってしまう。中国人は言質げんちを取られるのを極端に怖れる。他人から攻撃こうげきされたとき、言質げんちを取られていると逃げ道がなくなるからだ。だから中国人はなるべく面倒なことになりそうな話は避さけたがる。また宴会の場で、酔よった勢いきおいで政治批判の発言をした人間は勿論弱もちろんよわみを握にぎられるわけだが、それを黙って聞いていたと言うのも同罪どうざいと見なされるのが中国社会の常識なのだ。黙っているのは賛成の証拠だろうと言われるからだ。かと言って反論を仕掛しかけるのもおろかしいことで、反論をすればその発言によってまた言質を取られることになる。だから宴会の席に置おいては絶対に政治の話をしないのだ。小声こごえで隣りの人と話をするの

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は何にか企たくらみごとをしているのではないかと疑うたがわれるし、無礼ぶれいなことだと思われる。馬鹿話を大きな声でしなければならない。

日本人は、それと違うのだ。酒を飲んだ後、日本人は自分の言行げんこうをある程度寛容する。宴会の後半では、とても自由だ。人々は席を換え、等級観念とうきゅうかんねんも無視むしできる。上司を叱ってもかまわない。中国人は楽しくて飲んでいるのではない。宴会とは娯楽ではなく自分がいかにしっかりした立派な人間であるかを証明するための、ある意味に於おいては「戦いくさの場ば」なのだ。だから絶対に酔ってはならない、我慢競争がまんきょうそうに勝かち続つづけることが、中国社会では尊敬される条件なのだ。つまり中国人にとっての宴会とは、もう一つのビジネスなのだ。来る日も来る日もパーテ?ーに出つづけ、そこで酔いを見せることなく帰ることによって、他人の信頼を勝ち得ていく。これが中国社会の付き合い方なのだ。何度も同じ人に宴会で会い、その人物が酔よわずにしかもいつもたわいのない話をしている姿を見て「なるはど、この人は一緒に仕事をしても安心だ」と判断するのだ。だから中国人の社会において宴会に呼ばれなくなるというのは、社会的な死を意味することだ。あいつは羽目はめを外す、だらしのない奴だという烙印らくいんが押されるのである。

中国人にとって宴会は重大な機能がある:第一に誰が信頼できないかを見分けるという機能、第二に常にパーテ?ーに出席することによって、自分に寄せられている信頼感を他人に?ピールする機能、そして第三に中国人社会で力を失った人間を見極みきわめることができるという機能である。どこの宴会へ行っても見かけなくなった人は、まず失脚しっきゃくしたと考えて良いであろう。そして最後は有力者ゆうりょくしゃとコネを付けるという機能だ。日本では、そんな機能はない。ただ酒を飲むために、宴会を開催する。中国のような複雑な関係はない。

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2.4 酒を勧める時の習慣

中国には相尹に酒を勧めるという習惯がある。宴会の席では友速の問や主客の間において、お互いに「もう一杯どうぞ」と酒を&め合う。このような習惯によって、相手に对する自分の思いやりと友情の気持ちなとを表現したり、伝えたりする。そして双方が飲める限界の量やそれを超えたとき、相互に初めて友情とレて認め合う參言わば、「酒は知己に逢えば千杯も少なし」である。ところが、日本には相尹に酒を勧めるという習惯がない。

3 祭りについて

日本では、いろいろな祭りがある。天皇に司会しかいされた祭りは特定とくていな酒がある。ほかの祭りの酒は市民や政府部門で責任を負う。中国では、そんな厳しい要求がない。日本では、祭りが終わったら、皆は一緒に神かみに捧ささげる酒さけと食品しょくひんを飲のんだり、食べたりする。それは「神人共食かみじんともしょく」と言う。中国では、そんなことはできない。この点から見れば、日本は中国より実用を重視する。捧げる酒を飲んで、神様と祖先に差し上げる願望で満足したり、人間に団結だんけつな雰囲気を創造したりすることができる。

4 婚俗こんぞくについて

中日の婚俗の中では、酒は重要な役割を果たす。婚約する際、結納ゆいのうを受ける際、結婚する際酒は欠かせない。送った結納ゆいのうの中には、中国では酒がある。しかし、日本では酒はない。結婚式の時、新婚夫婦しんこんふうふは夫婦ふうふの固かため杯さかずきの酒さけを飲のむと風習ふうしゅうがある。中国人はただ一杯飲む。日本では三三九度さんさんくどというのがある。昔は大盃おおさかずきをみんなで回し飲んだ。三つの盃は、天?地?人を意味し、三はめでたい陽数ようかず、九はその最高の数字で、めでたいことの頂点を意味する。その盃が一巡いちじゅんす

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ることを一献いっこんといい、三組さんくみの盃さかずきが一巡いちじゅんすれば三献さんけん、これを三度繰みたびぐり返かえすのが三三九度さんさんくどというわけだ。この飲酒習慣いんしゅしゅうかんが、契ちぎりの酒さけとして、今の結婚式でも継けられている。

5 ほかについて

中国では、女性は酒を飲まないことがよいと思われが、日本では、女性は酒に強いことがよいと思われる。しかし、社会の進歩にしたがって、中国の女性の観念も本と同じになりつつある。日本人は夜酒よるざけを飲むのがすきだ。彼らはそうして、一日の仕事の疲つかれを取とり除のぞけようとする。そのほか、日本人は中国人のように、同じ場所で飲むことをしない。彼らは味を変えるために、よく場所を換える。それを「梯子はしごのみ」という。日本では、もし自分の夫が仕事を終えてから、家で夕食をしないで、外で食べれば、妻は喜ぶのである。中国では、そんな観念はない。そのほか、中国では、酒を飲む時、人々は大声で話し、騒ぐのである。日本では、酒を飲む時、話をしなく、静かである。ただ、日本では居酒屋いざかやというところがあり、そこでは大声で話して、自分のうっぷんを晴らす。

6結論

中国人にとつて宴会は重大な役割がある。第一に、誰が信頼できないかを見分けるという役割、第二に、常に、パーテ?ーに出席することによつて、自分に寄せられている信頼感を他人に?ビールする役割がある。第三に、中国人社会で力を失つた人間を見極めることができるという役割である。最後は有力者とコネを付けるという役割だ。日本ではそのような役割はない。ただ酒を飲むために宴会を開催する。中国のような複雑な関係はない。

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日本は中国と非常に近ぃ。また、儒学の影響で、酒文化はぃろぃろな共通点を持つてぃるが、艴やかな曰本の風土とデリケートな日本人の感性によつて酒文化が育てられ、発達してきた。日本の社会文化からみると日本は集団主義と「和」を重要に思つてぃるとぃうことが知られる0日本では社会の競争が激しく、人々は一生懸命働き、ストレスが非常に強ぃ。そして、日本人は自己開示が下手で、精神的緊張度の高ぃ民族である。それに、日本では「和」の精神が強く、自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、相手の気持ちや立場を考慮しようとする。日本人は集団の中で「和」を重視し、他人との摩擦を避けようとする傾向が強ぃ。そのため、中国のような必ず乾杯をしなければならなぃ場合はなぃ。まじめな話をしてもぃぃし、酔つ払つても構わなぃ。

おわりに

以上の中日両国における酒文化を対照しての分析から、日本社会の特徴とくちょうの一面を理解する。

1、日本では、社会の競争が激しい。人々は一生懸命働き、圧力が非常に強い。そして、日本人は自己開示じこかいじが下手で、精神的緊張度せいしんてききんちょうどの高たかい民族みんぞくである。またコミュニケーションが苦手で、酒を通してはじめてスムーズにコミュニケーションがてきるという希有けうな民族みんぞくともいえる。日本酒にほんしゅが単たんなる儀礼ぎれいにとどまらず、社会しゃかい生活の中で潤滑油じゅんかつゆとして重要じゅうような役割やくわりを果はたすものとなってきたのも納得なっとくできることである。

2、日本では和の精神が強い。自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、日本人は相手の気持ちや立場を考慮しようとする。日本人は、集団の中で、「和わ」を重おもんじ、他人たにんとの摩擦まさつを避さけよとする傾向けいこうが強つよい。そして、酒を飲む時、彼らは一般に静かで、他人の邪魔をしない。将来、これについての研究も続けて

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いる。

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[1] 坂ロ謹一郎1997『日本の酒文化』岩波書店(pp.95)

参考文献

1.蒋雁峰 2006 『中国酒文化研究』湖南师范大学出版社 (pp.1-12,41-71,196-335)

2. 李争平 2007『中国酒文化』时事出版社 (pp.305-321)

3. 王惟恒,强刚 2007『中国酒文化与养生药酒』人民军医出版社(pp.51-95)

4. 万伟成,丁玉玲. 2008『中华酒经』百花文艺出版社(pp.1-3)

5. 席坤2009『中国饮食』时代文艺出版社 (pp.221-227,244-246)

6. 石毛直道1998『論集酒と飲酒の文化』株式会社平凡社 (pp.39-81)

7. 熊食功夫1998『日本人の酒の飲み方』株式会社平凡社 (pp.451-462)

8. 坂ロ謹一郎1997『日本の酒文化』岩波書店(pp.92-100)

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中日酒文化对比日语

毕业设计 浅谈中日酒文化对比 作者 专业 学号 指导老师 日期

┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊装┊┊┊┊┊订┊┊┊┊┊线┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊ 目录 摘要 (3) 要旨··············································错误!未定义书签。绪论··············································错误!未定义书签。1中日酒文化背景概况························错误!未定义书签。 1.1中日酒文化的起源 (6) 1.1.1中国酒文化的起源 (6) 1.1.2日本酒文化的起源 (7) 1.2中日酒文化社会影响 (7) 1.2.1中国酒文化社会影响 (8) 1.2.2日本社会酒文化 (9) 2中日酒文化对比 (9) 2.1中日酒的种类和命名 (10) 2.1.1中国酒的种类和命名 (10) 2.1.2日本酒的种类和命名 (11) 2.2中日酒德酒礼 (11) 2.2.1饮酒方式和礼仪中的酒文化 (11) 2.2.2祭祀中的酒文化 (12) 2.2.3婚俗中的酒文化 (13) 3中日酒文化的异同点 (13) 3.1中日酒文化共同点 (13) 3.2中日酒文化不同点 (14) 结论 (15) 谢辞 (16) 参考文献 (17)

┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊装┊┊┊┊┊订┊┊┊┊┊线┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊┊ 【摘要】 酒文化无论在哪个国家的民俗中都占有非常重要和特殊的地位。中日两国是一衣带水的邻邦,同属东方民族。两国从古代就开始了交流,日本从中国学习技术的同时也吸收了中国文化,在各方方面有相似的生活方式及文化。其中酒文化也出自同一渊源,中国的传统文化、农业文明和曲酒酿造技术传到日本,促进了日本文化及酒业的发展。中日两国的酒文化历史、酒俗、饮酒态度和酒德酒礼都大同小异,各有所长,各有所短。中日两国人民相互交流、相互学习和借鉴,在差别中寻求融合,在融合中保存差别,共同创建适合于本国国情和世界酒文化发展方向的新型酒文化。本文以中日两国的酒文化为研究对象,进行展开论述。本文首先从中日两国酒文化的起源,社会影响等方面详细说明,接着从中日两国酒文化的多个方面,例如酒的种类和命名,喝法的差异,酒德酒礼等方面,对中日两国的酒文化进行详细的分析,最后通过对两国酒文化的比较,总结出两国酒文化的异同点。 【关键词】中日;酒文化;交流;发展;异同点

中日饮酒礼仪比较

はじめに 一、酒の起源および日本への伝播 1.1中国お酒の起源 1.2日本お酒の起源 1.3中国お酒と醸造技術が日本への伝播 二、中日酒文化の相違点 2.1酒の種類について 2.2酒の国民性について 2.3適量と過量について 2.4酒の飲み方とマナーについて 三、中日の宴席における「乾杯」文化 3.1中日「乾杯」について 3.2中日「乾杯」文化の相違点についての考察 おわりに 注釈 参考文献 要旨 「古事記」の記載によると、日本古代の生産技術の多くが、渡来人たちによって朝鮮半 島からもたらされ、また渡来人たちによって国内に普及された。これらの渡来文化のな かに、酒造技術もあったことが記録されている。 日本は,中国の近くに位置している。上の歴史に書かれたように両国は古代から交流し てきた。日本は中国から技術を習うのと同時に、中国の文化もならってきた。それが故、各方面で,類似的な文化を持っている。しかし共通点がある反面,両国の間には大きな 相違点も見受けられる。それぞれの社会環境や歴史的境遇によって、日本人は和の精神 が強い。自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、相手の気持ちや立 場を考慮しようとし、集団の中で「和」を重んじ、他人との摩擦を避けよとする傾向が 強い。そして、酒を飲む時、一般に静かで、他人の邪魔をしないとか、中国人は、敬意 の表明として杯の酒を飲み干すが、日本人は含蓄に親しみの気持ちで飲み方などで、各 酒文化から反映した国民性とか読み方とかマナーには、微妙な差異がある。また、宴席 でお酒を乾杯する時、日本人はもっと含蓄であるが、中国のほうは、ずっと直接である ように、中日の宴席における「乾杯」文化にもそれぞれの相違点が存在している。 本文を書く目的は、中日酒の起源、中日酒文化の相違点、宴席における「乾杯」文化の 相違点などで比較分析しながら、もっと両国の酒文化について了解するとともに、以後 の中日文化交流を促進するためだ。 本文は以上の目的で次の順番で展開するつもりである。第一章は酒の起源および日本へ

浅谈中日酒文化

西安翻译学院 XI’AN FANYI UNIVERSITY 本科毕业论文(设计) Dissertation for Bachelor’s Degree 题 目:浅談中日酒文化 2013年5月 学 号 9111202031 院 系 外国语学院

诚信声明 本人郑重声明:本人所呈交的毕业论文(设计),是在导师的指导下独立进行研究所取得的成果。毕业论文(设计)中凡引用他人已经发表或未发表的成果、数据、观点等,均已明确注明出处。除文中已经注明引用的内容外,不包含任何其他个人或集体已经发表或在网上发表的论文。 本声明的法律结果由本人承担。 论文作者签名: 日期:年月日

要旨 周知のように、酒は長い歴史を持っている。全世界で、酒は歴史、経済、政治、文化及び社会に対しての影響が無視することが出来ない存在である。酒文化は文化の一部として、社会と密接な関係がある。だから、酒文化はどの国の風俗の中にも重要な特殊な地位を占めている。中日両国は特にそうだ。酒の本当の意味と実際の実用の方面で、ほかの国家と民族に知らず知らずのうちに影響を与えて来た。中日両国は一衣帯水の国である。酒文化も同じ源から生じている。 キーワ-ド:中日;起源と発展;酒文化;相違点

摘要 众所周知,酒拥有悠久的历史。酒对世界的历史、经济、政治、文化及社会的影响不可取代。酒文化作为文化的一部分,和社会有着密切的联系。所以,无论在哪个国家酒文化都占有着重要的地位。尤其是中日两国。随着中国和各国的交流,酒的酿造技术,文化和用途逐渐传入其他国家和民族。中日两国是一衣带水的邻邦,酒文化也出自同一渊源。 关键词:中日;起源和发展;酒文化;异同点

中日の酒文化について

中日の酒文化について 要旨:日本は中国の近くに位置している。上の歴史に書かれたように両国は古代から交流してきた。日本は中国から技術を習うのと同時に、中国の文化もならってきた。それが故、各方面で,類似的な文化を持っている。しかし共通点がある反面,両国の間には大きな相違点も見受けられる。お酒文化はどこの国でも風俗で特殊な地位を占めている。中国は昔から非常にお酒文化を重視した民族である。中日の酒文化史、飲酒の習俗、酒に対する態度と飲酒の礼儀作法は大同小異であり、それぞれの長所と短所がある。中日の国民はお互いに交流し、勉強し、差異の中に共通処を見つけ出しながら、自分の特色を保つ。両国の古代から交流し、両国民は酒が好きで、お酒についての記事は多く。例えば:中国の三国時代は曹操の「短い歌行」によると、日本の「万叶集』で山思い起こし良の有名な「貧招き入れる質疑応答の歌』が飲酒の中の物语である。日本は中国の近隣として、それも同じである。本稿は中日のお酒文化を研究対象として、論述を展開したものである。本文の構成は、まず両国のお酒文化の歴史、発展、特徴などを振り向き、詳しく説明し、次に、中日のお酒文化のある方面、たとえば、お酒の種類、飲み方の違い、お酒を通じてのコミュニケーションなどという方面から、両国のお酒文化を詳しく分析し、最後に、両国のお酒文化の比較を通して、その違いの検討してみた、となっている 本文は以上の目的で次の順番で展開した。第一章は酒の起源、第二章は中日酒文化の相違点、第三章は中日の宴席における「乾杯」文化、第四章は終わりとして述べていた。 キーワード:中日;お酒文化;相違点; 交流

[文化差异,中日]中日酒道的文化差异探究

中日酒道的文化差异探究 摘要:中日两国人民都酷爱饮酒,“酒道”在日本也曾经盛行一时。从酒的种类、器具及饮酒习惯,对中日两国的酒文化进行对比研究,结果表明二者的差异与中日两国的原生文化、地理环境、审美意识的差异息息相关。 关键词:酒道;国民性;中日对比 日本的酒文化追根溯源起来离不开农耕文化和中国文化。距今5000-7000年前,中国大陆气候温和,原始的农耕文化得以长足的发展,形成了世界第一个农耕文化的中心地带。此后,农耕文化在东亚基础文化形成的过程中不断发展,逐渐传入日本。农耕文明是酒文化兴盛所必需的土壤,酒作为农耕文化的产物,也流入日本。另外,古代的日本,国家文化体系尚未确立,大至国家政治,小至生活习惯,都深受中国文明的影响。这些文化观念作为民族文化和酒文化的核心和基础,对其酒文化的发展和演变也都产生着重大影响和导向作用。 一、从酒的种类来看中日原生文化的差异 关于酒的起源,中国主要有两种说法:一是根据《战国策》的记载,公元前2200年,大禹时期仪狄创造了谷类酒,进献给禹王;另一种说法是,周朝的时候,有一个叫杜康的人制造了我们如今经常饮用的酒。在日本,从事造酒行业的人也被称为“杜康”。现在,中日两国酒的种类均变得多样化。根据不同的标准,分类也各不相同,此处仅以白酒和清酒为例,对两国酒的种类进行比较。 白酒是中国传统的蒸馏酒,也被称为“烧酒”或“白干”,生产历史悠久,以谷类或马铃薯等包含丰富淀粉的作物为原料发酵蒸馏而成。酒精度一般在40度往上,也有40度以下的低度酒。白酒清澈通透,芳香四溢,但具有较强的刺激性,饮用后口中会有酒香残留。白酒由于地理条件、气候条件、原料品种、用曲、生产工艺、酿酒设备的不同,品种繁多,名称各异,有酱香型、浓香型、清香型、米香型,等等。 日本清酒是用米、米麴和水发酵而成的一种传统酒类,在日本又被称为日本酒,或者直接称为酒,酒精浓度平均在15%左右。由于不同的酿造方式、保存方法以及酒税法规定等,市场上现有的清酒种类也各不相同。清酒酿造有“精米步合”之说。将每粒酒造米用精米机日夜打磨,为提取精华而抽丝剥茧地一层一层把外衣磨去。精米度越低,酒的级数越高。 总体来说,中国人喜好度数高、浓烈的酒。当然这与中国高超的酿酒技术有很大关系,随着技术的不断提高,中国可以萃取出越来越浓醇的高度酒。但是除了技术上的因素外,中国人偏爱高度酒还有更为深层次的原因。在中国,酒神精神以道家哲学为源头,庄周主张物我合一、天人合一、齐一生死。庄周高唱绝对的自由,推崇“乘物而游”“游乎四海之外”“无何有之乡”的豪情。追求绝对自由、忘却生死利禄及荣辱,这也是中国酒神精神的精髓所在。中国自古以来在很多文学作品、诗歌中也有相关的描述,比如曹操的“对酒当歌,人生几何”,杜甫的“酒渴私吞海,诗狂欲上天”,等等,都体现了中国人在饮酒中追求的是自由和解放。高度酒可以帮助人们快速地放松精神,解忧解愁。 日本人则更钟情于酒精度数低、口感温和的清酒。日本人为什么喜欢日本酒(清酒),并

中日酒文化研究比较

中日の酒文化についての比較研究 1 酒の歴史と発展過程 1.1 中国の酒の歴史と発展過程 中国の酒造りの歴史は大変古く、2004年に、「今から9000年ほど前の賈湖遺跡で酒造りの痕跡を見つけた」という発見があり、世界を驚かせた。 歴史時代では殷(商)の王(今から約3100年前)が宮廷に3000人を収容できる「酒池肉林」を造ったという有名な逸話もある。秦の始皇帝、漢の武帝も造営した。 今から1800年前の『三国志』の時代には西域から葡萄酒が多く入ってきた。この時代では曹操の禁酒令、孫権の酒乱など、酒の話題が大変豊富になった。 6 世紀の北魏時代、現存する最古の料理書『斉民要術』が著されさまざまなお酒の造り方が細かく残きれた。また、この頃には度数の高い酒も登場して、いたようで「匂いを嗅ぐだけで何日も昏睡した」という話もある。8 世紀の唐王朝の時代、多くのお酒に関す漢詩が詠まれた。中でも、西域の砂漠を舞台とする「辺塞詩」ではお酒を情緒深く絡ませている。11 世紀頃の宋代になると、蒸留酒である白酒が多く造られるようになり、現在に至っている。 中国の蒸留酒の始まりについてはあまり分かっていない。現在では各都市で1 万を超える地の白酒が造られるなど、中国人にとって身近なお酒になっている。 今から100 年ほど前、ドイツが中国の山東半島へ進出した時、ここにビールとワインの製造工場を造った。このため、現在でも中国山東省ではビールとワインの生産が盛んである。今日、中国を代表する高級白酒は五粮液である。 1.2 日本の酒の歴史と発展過程 日本の酒は土着の酒と、渡来人が伝えた酒の2 種類が知られている。土着の酒については米を噛んで吐き溜める「口噛み酒」が知られ、「醸す」という読みは「噛む」が語源になったという説がある。一方、渡来人が伝えた酒は現在の「甘酒」にあたる酒と考えられている。これは麹を原料とした醸造法で、大王の一族が朝鮮半島から技術者を連れてきたのが始まりという。 古代日本のお酒は朝廷の造酒司を中心に更なる開発·改良が進められており、平安時代中頃の10 世紀には現在のような日本酒の醸造法が確立していた。 平安末期、朝廷が衰えると酒造りの技術は大阪·奈良などの大寺院が受け継ぎ、「僧坊酒」として名を博す。戦国末期、津島にもゆかりのある織田信長はこれらの寺院に対して徹底的に弾圧を加えた。これにより僧坊酒の高度な技術は流出·分散し、各地で地酒が造られる下地になった。 今から約 600 年前1404 年、長崎県に、朝鮮半島からアルコール度数の強い蒸留酒が送られてきた。これが日本で最初に確認できる焼酎である。その後、琉球からも泡盛の製法が伝来し、焼酎は九州各地で造られるようになった。1698 年、甘藷が日本へ伝わると、鹿児島宮崎では芋焼酎の製造が主流になる。今から6 年前、焼酎は突如ブームとなり、多くの銘柄を見かけるようになった。 豊臣秀吉は最晩年(1598 年)、京都の醍醐寺で盛大な花見を催し、全国から銘酒も集めた。ただし、これらの銘酒は現在ではほとんど残っていない。 江戸時代初期、それまで年5 回醸造していた日本酒造りを幕府が「年1 回冬期のみ」の醸造に制限した。これは現在の酒造りにも継承されている。 明治以降になると、酒造業は製法も設備も近代化し、安定?安全に生産ができるようになった。今から約 400 年前、醍醐寺に博多の練貫酒、大阪の天野酒、伊豆の江

日本の酒文化

日本の酒文化 外国语学院日语专业2010级金晓宇 指导老师蔡春晓 摘要:中国和日本自古以来就是有好互通的邻国,中国的许多传统文化对日本有着深刻的影响。从西汉一直到现在的21世纪,中国和日本之间有着相当长时期的文化交流。而中日两国友好的基础是建立在两国人民对文化的相互理解上的。 日本作为礼仪之邦,一直非常重视酒文化。一般情况下在酒席上都只是喝酒而并不劝酒。同时日本的工薪族,在下班之后也经常和同事好友一起去喝酒消遣。他们的喝酒是一种精神的享受,身体的放松,并不像中国酒桌上常常劝酒。这使得酒文化对于中日两国的影响也稍有不同。饮酒礼仪也能从一个侧面反映出一个国家和民族的特征,是人类文明史上不可缺少的一部分。 首先,想说明一下日本的酒文化的具体内容。从酒历史以及分类方面详细的介绍日本酒文化。其次,论述日本的酒习惯和日本的酒桌礼仪。在这部分中,打算从日常生活和节日两方面来研究日本的饮酒习惯。给别人斟酒以及别人给自己斟酒时的做法方面研究其礼节。然后,从日本人的和意识、日本人的生活习惯方面分析日本酒文化形成的原因。最后,分析日本酒文化给日本社会带来的影响。 关键词:日本文化礼仪酒影响 要旨:昔から中国と日本は友好の隣国で、中国の伝統文化は日本に影響を深く与えていることである。古代の西漢から21世紀まで、中国と日本はずっと長い時期の文化交流を持っている。中国と日本の友好の基礎は両国の人民の生活文化に対する相互理解である。日本は儀礼が多いの国で、酒の上での品行が非常に重視している。酒席でただ酒を祝杯を挙げるだけ、酒を勧めることは尐ない。普通のサラリーマンは、更に相手に酒を飲むように強要しないで、それぞれに自分の願望によって、気の向くままに飲む。この点からみると、中国人の酒文化とは違い。そして、お酒文化の影響はそれぞれ違うと思う。酒は民族の発展とともにもっと豊富な内容をふくめている。酒文化は自国の社会文明の象徴であ

中日酒文化的比较与研究

中日酒文化的比较与研究 酒,在人类文化的历史长河中,它已不仅仅是一种客观的物质存在,而是一种文化象征,即酒神精神的象征。 酒文化无论在哪个国家的风俗中都占有非常重要和特殊的地位。中国和日本也不例外,两国只有一水之隔,所以从古代开始就开始了文化上的交流,在各方面有相似的生活方式以及文化。其中酒文化也出自同一渊源,中国的传统文化、农业文明和曲酒酿造技术传到日本,促进了日本文化及酒业的发展。中日两国的酒文化历史、酒俗、饮酒态度和酒德酒礼都大同小异,各有所长,各有所短。中日两国人民相互交流,相互学习和借鉴,在差别中寻求融合,在融合中保存差别,共同创建适合于本国国情和世界酒文化发展方向的新型酒文化。 一、酒文化的起源 1、中国酒文化的起源 中国是世界上最早的酿酒国,是世界三大酒系的发源地之一。中国是酒的故乡,酒和酒类文化一直占据着重要地位。酒是一种特殊的食品,是属于物质的,但酒又融于人们生活之中不可缺少的东西。在几千年的文明历史中,酒几乎渗透到社会生活中的各个领域。首先,中国是一个以农业为主的国家,因此一切政治、经济活动都以农业发展为立足点。而中国的酒,绝大多数是以粮食酿造的,酒紧紧依附于农业,成为农业经济的一部分。 关于酒历史,人们很难从古书中寻找确切的时间,但从出土的大量河姆渡文化时期的古老酒杯来看,可以说明早在7000多年以前,中国人就开始人工酿酒了。 2、日本酒文化的起源 日本的造酒文化源于中国,日本的风土将其精炼,并发展成现在的清酒。现存关于日本历史的最早记载,是《三国志.魏书》“东夷传”中的“倭人”部分——日本人叫《魏志倭人传》的那本书。那里面已经有了“人性嗜酒”的记载,并且指出在办丧事时,日本人有聚众“歌舞饮酒”的习俗。在《古事记》

2013中日酒文化对比最新版。内容详细。中日両国の酒文化の相违性についての研究

题目:中日両国の酒文化の相違性について姓名: 夏准 专业: 日语 班级: 11日语S1 学号: 20113470228 导师: 李丽娜 2013年5 月29 日

目次 摘要……………………………………………………………………I 要旨…………………………………………………………………II 一、序論 (1) 二、本論 (1) 1.酒文化とは (1) 2.酒の歴史と発展 (1) 2.1中国の酒について (2) 2.2日本の酒について (2) 3.中日両国の酒文化の相違点 (3) 3.1酒の種類と名付け (3) 3.2酒器の使い方 (3) 3.3酒の飲み方とマナー (4) 3.3.1「酒を勧める」について (4) 3.3.2宴会のマナー (4) 3.3.3「乾杯」について (5) 3.4酒を飲む女性に対する態度 (6) 三、結論 (6) 参考文献 (8) 独創性声明 (9) 謝辞 (10)

摘要 酒文化无论在哪个国家的风俗中都占有非常重要和特殊的地位。中日两国是一衣带水的邻邦,同属东方民族,酒文化也出自同一渊源。两国不仅都是好饮酒之国,在酒的历史和酿造技术等方面有不少相似之处。但由于生活习俗、传统文化和价值观不同,中日两国在酒文化方面也呈现出许多不同之处。 本论文以中日两国的酒文化为研究对象,首先介绍中日两国酒的起源和酒文化的发展,接着从酒的种类、酒器的使用、喝酒的礼仪以及对女性喝酒的态度等方面进行详细分析,发现中国酒的种类一般是根据香型划分的,浓香型或者米香型等等,而日本酒的种类多是以动植物命名。在酒器的使用方面,中国由于长时间处于封建社会,所以酒器的发展使用可以看出喝酒者地位的尊卑,日本的酒器大部分比较小,可以看出日本人谨慎的特点。两国喝酒的礼仪也有所不同,比如中国人喜欢劝酒,日本不喜欢劝酒,中国人觉得喝醉是件很丢脸的事情,而在日本很正常等等。另外,中国人不太赞同女性喝酒,日本人对女性喝酒却很宽容。 通过上述论述可以看出,尽管日本的酒文化源于中国,但由于日本由于社会的发展,逐渐形成了自己的酒文化。了解日本的酒文化,有助于更好地了解日本、日本人和日本文化。 关键词:酒文化,中日,交流

日本酒文化开题报告

日本酒文化开题报告 篇一:白酒开题报告 新古顺白酒开题报告 一、立题依据(研究背景、研究目的与意义及国内外研究现状综述) (一)研究背景 近年来,由于中国白酒行业的整体环境发生了深刻的变化,行业内广泛性竞争向垄断竞争的发展趋势致使白酒竞争十分激烈。为控制行业规模,调整行业结构,国家相继出台了一系列政策,特别是自XX年5月实行从量计征消费税后,白酒行业发生了重大变化,全国由48000家酒厂迅速萎缩至现在38000余家。市场竞争呈现手段多样化,竞争形式不断翻新,为了提高企业竞争力一些企业通过兼并、联合、控股、资产重组等方式,向集约化、集团化、规模化发展。中国白酒营销已在市场中点燃了难以扑灭的战火,从包装战、价格战、广告战、促销战一直延伸到“终端的门口”,酒店进店费、买断促销费、人力促销报酬、服务员开瓶费、促销品投放费,再加上酒店拖帐、欠帐的黑洞使白酒企业苦不堪言,白酒的市场推广似乎己成为企业发展的鸿沟。在营销战略上,许多厂家运用现代营销战略理论抢占白酒市场制高点。取得了骄人的业绩和长足发展。但同时,由于白酒企业行业巨大赢利机会,外部资本开始投入,更加加剧了白酒业的竞争,

迄今为止真正能参与大竞争的企业却寥寥无几,中国白酒业还处于低层次的竞争;产品同质化、炒作概念化严重。虽然许多企业已认识到制定营销战略的意义。但如何根据企业实际建立一套行业有效的营销战略体系,其概念、思路和方法还是比较模糊的。邢台古顺酒业在形势一片大好的情况下,因公司内部质量管理失控,外部市场管理自由散漫,盲目跟风,营销战略模糊,销量急剧下滑,尤其在产品开发与推广、营销网络建设等方面与市场要求相距更远,面对市场严峻的竞争激烈的现实,如何利用现有资源,夺回应有的市场地位把公司做大做强,重振雄风,重塑古顺酒业昔日辉煌的形象,成为公司亟待解决的问题. 改革开放30年来,白酒进入高速发展期。经过这一时间段的发展,如今白酒进入了一个理性的消费时代,现在白酒消费正面临着诸多挑战与压力,最明显的就是白酒的消费量在下降。导致这个问题出现的因素很多。第一是“新消费阶级”缺乏对白酒的认知;第二是卡拉OK、酒吧、茶道、足疗等新兴消费业态的出现,分割了部分白酒 消费者;第三是进口酒对白酒的冲击,据官方统计,XX 年我们进口酒的总量是1.7亿升,金额是4.42亿美元,增长23.91%。今年上半年进口酒增长60~70%。但是市场上流通的量,估计要占到40亿美元,大概占白酒消费量的10%左右;第四是国家产业方面的限制和政策的约束,包括禁驾

中日酒文化比说_朱玲莉

第32卷第5期 吉首大学学报(社会科学版) 2011年9月Vol.32,No.5 Journal of Jishou University(Social Sciences Edition) Sept.2011 中日酒文化比说* 朱玲莉 (首都师范大学外国语学院,北京 100048) 摘 要:酒文化是民族传统文化的重要组成部分。中日两国酒文化历史悠久,源远流长,二者都是农耕文化的产物。由于酒文化受生活环境、传统文化等因素的影响,中日两国酒文化在酒名、酒德、酒礼等饮酒习俗上存在着差异。通过中日酒文化的对比研究,可以了解中日两国酒文化的特征,促进两国文化的交流和发展。 关键词:中日;酒文化;酒德;酒礼 中图分类号:TS971 文献标识码: A 文章编号: 1007-4074(2011)05-0124-04 作者简介:朱玲莉(1974-),女,湖南邵阳人,博士,首都师范大学外国语学院讲师。 酒是农耕文化的产物。随着酿酒业的发展普及,饮酒逐渐成为人们日常生活必不可少的一部分。中日两国都是尚酒好饮之国。由于生活习俗、传统文化、价值观念等不同,中日两国酒文化呈现出风格迥异、丰富多彩的民族特色。本文从中日两国酒文化的渊源以及两国酒文化的传统民风民俗着手,对两国酒文化的异同进行剖析。 一中日酒文化的源流 中国酒的历史源远流长。在甲骨文和金文中就有“酒”这个字。在《诗经》中“十月获稻,为此春酒”和“为此春酒,以介眉寿”等诗句,都表明我国酒之兴起,已有五千年的历史了。在中国关于酒的起源有各种各样的传说,有“上天造酒”、“猿猴造酒”、“仪狄造作酒”、“杜康造酒”等传说。中国酒在经历从原始酒过渡到传统酒再发展成为现代酒这一漫长演变后,造酒的工艺技艺更加成熟精湛,口味愈加香醇甘美。 日本人与酒也有着不解之缘。在我国古书《东夷传》中就有“倭人好酒”的记载。古代日本把酒称为繁荣之水,日文汉字叫“荣水”。日语中的“酒”字是由“荣水”演变来的。在日本最原始的酒为口嚼酒,即利用人口中的唾液糖化酵素,将造酒原料用口反复咀嚼,使其糖化发酵,酿造出酒。在日本九州南部可以找到口嚼酒的记录。因为用口嚼的方式造酒是一种较为原始的造酒法,它不能大规模生产,因此渐渐地被霉菌酿酒技术替代。奈良时代以后,日本模仿唐朝律令制度设置了造酒司等机构,进行大规模的酿酒生产。到12世纪末的镰仓时代,随着朝廷势力的衰弱,宫廷酒逐渐退出历史舞台,民间酿酒业逐渐兴起。但是镰仓幕府控制民间饮酒,因此酿酒业的发展也受到一定的限制。到室町时代,室町幕府为了获取税收,下令造酒,寺院造酒成为了这一时期的特色。尽管佛教禁止饮酒,寺院理应与酒无缘,但在日本事实上寺院的主要生活来源是酿酒。因此这一时期的酒也被称为“僧坊酒”。日本酿酒业在经过室町时代的发展之后,到江户时代酿酒的规模和技术已达空前繁盛。 中国酒种类繁多,其中白酒是最具中国特色的一种酒。日本酒的种类不及中国,其中以享誉日本“国酒”之称的清酒为主。酒是农耕文化的产物,酒的原料是和那个民族的主食一致的。在中国的白酒的原料主要是大米;日本人的主食也是大米,所以日本的清酒大多是以大米为主要原料酿造的。中日两国酒都以谷类为原料,利用霉生产的曲进行 *收稿日期:2011-07-08

日本酒文化

课题名称:日本留学、生活与文化任课老师: 付晓燕 学生:谢洪斌 学号:1016012116 日期: 2011年10月28号 系别:环境工程系 专业:环境工程专业

花看半开,酒饮微熏 ----日本酒文化浅谈 【摘要】日本人爱喝酒这似乎以成为定论,日本人常说他们的生涯离不开酒,就想机器离不来润滑剂,日本人缺了酒也会反映迟钝,甚至无法运转。日本的酒文化源于中国,日本本土将其精炼自成分格,关于酒的最早记录实在《三国志。魏书》那里对日本酒并没有特殊翔实的描写但是有了“人性嗜酒”的记录并且指出日本在办丧事的时候会歌舞饮酒的习俗。日本也是一个礼节之邦,和中国一样爱好有朋自远方来共饮一杯,也爱好以酒做礼互相赠予,不过里面讲求很多。嗜酒是日本人的传统,但他们是以喝酒为解压、放松的手段。明代洪应明在《菜根谭》里所说的“花看半开,酒饮微醺“,在日本被奉为饮席之上品,也即追求一种朦胧雅致,悠远纤柔的审美风尚。 日本人饮酒寻求一种淡丽作风如《菜根谭》“花看半开,酒饮微熏”寻求一种朦胧雅致,悠远纤弱之意境。这也符合日本民族爱好轻松柔软温和的性情。 “酒者,天之美禄,说起酒中国人最熟习不过了,中国事饮酒大国同时也是最早酿造酒的国家之一。但是对于日原来说,酒也是他们生涯中很主要的一部分。 一日本酒及酿酒技术的起源 现存关于日本历史的最早记载,是《三国志.魏书》“东夷传”中的“倭人”部分——日本人叫《魏志倭人传》的那本书。那里面对上古时代的日本人并没有特别翔实的第一手资料,但却已经有了“人性嗜酒”的记载,并且指出在办丧事时,日本人有聚众“歌舞饮酒”的习俗。但可惜并没有指出他们喝的是五粮液还是二锅头。 根据伟大的考古学家不懈努力,我们可以知道,最晚在绳文时代中期(中国的春秋时代),日本人已开始酿酒了。本州岛中部长野县出土了“有孔锷付土器”,是已知的日本最早的酿酒器具。在同一个地点,发现了发现了山葡萄的种子,啊原来日本人喝的是葡萄酒(法国人跳出来啊?)。这起码说明,当时的酒饮料还是依靠野果酿酒。 而根据大多数国家和民族的传说和考古显示,最早掌握酿酒技术的是——猴子!他们采摘野果,储存,吃不完,于是剩余的果子发酵,变成酒,恰好本森林里的二郎发现,当天晚上家里人发现二郎满嘴胡话,跳着舞闯了进来。我的观点A:和歌以及敦盛舞就是这样出现的……我的观点B:日本人的酿酒祖师是——日吉丸!OHOHOHOH 伟大的发现…… 至于今天占据日本主导地位的米酒,则无疑产生于稻作文化传日之后。绳文时代晚期(已经到了战国时代)大量江南地区的农民为躲避战乱,逃往海那边的岛屿(当时的航海技术一级棒),于是带来了水稻的耕种技术。从南端的九州到北部的青森,都发现了这一时期稻米种植的遗迹。当然,光有米还不行,还得会把米变成酒才行,这其中的转变,我们不妨从古书以及一些传说找答案。 首先是无敌的《古事记》记载,在应神天皇时期,有一个从百济来的造酒专家须须许理,天

中日酒文化对比论文

中日酒文化对比论文 谈中日酒文化 摘要:中日两国是一衣带水的两个国家,有着悠久的历史文化交流。在酒的酿造和 种类以及酒的各种文化都有着共通点,也有各自独特的魅力。本文首先介绍了酒的历史, 然后具体的阐述了中日酒文化。最后总结出中日两国酒文化的异同点。 关键词:酒;酒的起源;差异与对比;民族特征 一、酒文化 中国和日本是一衣带水的两个国家有着悠久的历史文化交流,早在公元724年唐代高 僧鉴真就应荣睿、普照等日本学僧的邀请到日本传授佛教。鉴真到达日本后,为日本天皇、天后、皇太子及440多名僧人受戒。鉴真的东渡,不但给日本带去了中国的佛教思想,还 带去了中国的建筑、雕塑、医学、酒的酿造等技艺。所以中日两国的酒文化有着许多的共 通点,但由于两国的社会环境与历史境遇的不同,可以说日本的酒文化已经成为日本民族 的特色之一。 二、中国酒文化的发展史 中国作为是世界上最早酿酒的国家之一,酒也是中华民族饮食文化的一个重要部分, 在原始社会里,就出现了最早的天然果酒,“猿猴造酒”的古代传说也正是建立在这种天 然果酒的基础上,不过猿猴造酒的这种酒,与人类酿的酒是有本质区别的,充其量也只能 是带有酒味的野果。人类进入旧石器时代的后期就具有了野果 自然发酵酿酒的知识了,随着社会的发展,人类社会进入新石器时代,这时自然发 酵而成的果酒和用乳酿制的酒,可以说是最原始的酒,随着人类进入农业社会,谷物酿酒 取代了天然果酒,这标志着酒已经开始作为一种人类创造的物质出现在社会生活中,人类 已经有了自觉的饮酒需求。在上古时代酒主要用来祭神,由于人类社会的发展,酒在生活 中的作用也逐渐发生了变化,成为了人类关系的润滑剂以及社会礼仪的表现。中国是文明 古国,礼仪是很重要的美德,在《礼记》中就有“无酒不成席”的说法,由此可见酒是礼 仪的表现形式之一。饮酒也成为了中国人的一种生活习惯。 中国的名酒有很多,例如山西省汾阳县杏花村的汾酒就是其中一种,早在唐代时期就 很负盛名。传说明末时期闯王李自成率兵路过杏花村,村民献上汾酒以表敬意,李自成醉 倒三日后口中仍然残留余香便惊呼道“真是好酒啊!”唐代诗人杜牧的“清明时节雨纷纷,路上行人欲断魂。借问酒家何处寻,牧童遥指杏花村。”指的就是汾酒。 三、日本酒文化的发展史 日本酒文化的起源就比中国要晚一些。在日本,关于酒的最早记录,出现在《三国志?魏书》“东夷传”中“倭人”部分——在日本此书叫做《魏志倭人传》。那里面已经有 了“人性嗜酒”的记载。绳文时代大量江南地区的农民为躲避战乱,逃往海那边的岛屿,

中日の酒文化の比较

中日の酒文化の比較 原文作者げんぶんさくしゃ:Eileen はじめに 日本にほんは,中国ちゅうごくの近ちかくに位置いちしている。両国りょうこくは古代こだいから交流こうりゅうしてきた。日本にほんは中国ちゅうごくから技術ぎじゅつを習ならうのと同時どうじに、中国の文化もならってきた。それが故ゆえ、各方面で,類似的るいじてきな生活様式や文化を持っている。しかし共通点がある反面,両国の間には大きな相違点そういてん も見受けられる。長年来、日本をよく理解するために、いろいろな面から研究した文章が発表されている。例えば、彭広陸氏の『日本料理名の比較』、潘鈞氏の『日本人の漢字観の変化』などの文章がある。本稿ほんこうでは、酒文化さけぶんかの面から日本を研究する試みをした。日本は自分の民族性があるので、自分の文化をもっている。中日酒文化の共通点や違う点を研究して、日本社会をよく理解することに役立ちたい。 Ⅰ 酒の始まり 12億年前というはるかな昔この地球に、酒を造る酵母菌こうぼきんの先祖があらわれたのに続いてほぼ20万年前、人間(ホモサピエンス)が出現したが、その頃には、酵母はすでに大きな進化をとげ、糖とうを発酵はっこうしてアルコールを造る機能をもつようになったと思われる。その酵母が、地上に落ち、果物を自然に繁殖はんしょくさせ、果物を発酵させた。 その後、人類は作物を栽培さいばいし収穫しゅうかくすることをおぼえ、その貴重きちょうな食べ物と、目に見えない酵母を巧たくみにあやつって、酒をつくりあげた。 もちろん、まだ酵母の存在さえしらず、その概念ももたなかった当時の人々は、この発酵という不可解な現象を、すべて「神のなせるわざ」だと考えたに違いない。 「古い文明は必ずうるわしい酒を持つ。すぐれた文化のみが、人間の感覚を洗練し、美化し、豊富にすることができるからである」(坂口謹一郎)といわれる通り、世界の民族は、独自の酒とその文化を育ててきた。それが民族間の交流によって各地へ伝播でんぱされ、時代とともに改良かいりょうされ、進歩してきた。たとえば、メ

中日の酒文化についての探究

中文提要 酒文化无论在哪个国家的风俗中都占有非常重要和特殊的地位。中日两国是一衣带水的邻邦,同属东方民族。两国从古代就开始了交流,日本从中国学习技术的同时也吸收了中国的文化,在各方面有相似的生活方式以及文化。其中酒文化也出自同一渊源,中国的传统文化、农业文明和曲酒酿造技术传到日本,促进了日本文化及酒业的发展。中日两国的酒文化历史、酒俗、饮酒态度和酒德酒礼都大同小异,各有所长,各有所短。中日两国人民相互交流,相互学习和借鉴,在差别中寻求融合,在融合中保存差别,共同创建适合于本国国情和世界酒文化发展方向的新型酒文化。本文以中日两国的酒文化为研究对象,进行展开论述,本文首先从世界酒的起源,中日两国酒文化的起源,发展,特征等方面详细说明,接着从中日两国酒文化的多个方面,例如酒的种类,喝法的差异,饮酒礼仪等方面,对中日两国的酒文化进行详细的分析,最后通过对两国酒文化的比较,总结出两国酒文化的差异。 关键词:中日酒文化交流发展

外文提要 酒文化はどのような国の習慣においても重要な地位を占める。両国の距離が近く,一衣带水の国である。両国は古代からさまざまな交流がはじまり、日本は中国からの技術を勉強するとともに、中国の文化を吸収し、各方面に似ている生活方式と文化がある。その中の酒文化が同じ根源であり、中国の伝統的な文化、農業文明および醸造技術は日本につたわり、日本文化と酒造の発展を促進した。中日の酒文化史、飲酒の習俗、酒に対する態度と飲酒の礼儀作法は大同小異であり、それぞれの長所と短所がある。中日の国民はお互いに交流し、勉強し、差異の中に共通処を見つけ出しながら、自分の特色を保つ。共同で自国文化と世界酒文化の発展に適する新型酒文化を創ろうとしている。本稿は中日酒文化を研究対象にして検討し、先ずは世界酒の起原と中日の酒文化の起原、発展、特徴などから説明する。それで、中日酒文化の各方面から、たとえば、酒の種類とか飲む方法の異同とか礼儀などの方面から中日酒文化を詳しく分析する。最後に両国酒文化の比較することを通じて両国の酒文化を総括する。 キーワード:中日酒文化差異交流発展

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